2022.03.27

きのう、疲れているんだからまっすぐ帰ってゆっくりお風呂に入ってさっさと眠ればいいものを、小雨降る中わざわざスーパーに寄ってお惣菜(アボカドとエビのサラダ、という名のほぼマカロニ)と甘いもの(パックに入ったチョコレートケーキ二切れ)とビールとワインを買って帰り、ひとりで夜な夜なわしわしそれらをやっつける会を開催した。深夜の暴食、久しぶりだった。吐くかな?と思ったけどあっさり胃に納まった。最近Netflixの『Master of None(邦題:マスター・オブ・ゼロ)』というドラマをときどき観るのだけど、主人公はインド系アメリカ人の男性で、人種差別とか多様性みたいなものをテーマにしている回もあり、やれやれー!という気持ちで観ている。少しずつ良くなっているよね、世の中はさ。たぶん。最近観たアメリカの映画でも、当たり前に白人同士ではない若いカップルの恋愛が描かれており、彼らの友人にも様々な人種が登場していて、変わってきたのだな、ということをしみじみ思ったりした。

Master of Noneの一話のいちばんはじめがベッドシーンなのだけど、コンドームが破れてしまって、ふたりで深夜に急いで薬局にアフターピルを買いに行くのだよね。あぁこれが日本では当たり前ではないのだよなって、アメリカでは当たり前なのだよなって、そういうことを思わずにはいられなかった。

冷静に、冷静に、と自分に言い聞かせて「怒りを禁じ得ない」なんて書いているけど、言いたいことははっきり言って「いい加減にしろよクソジジイ」ということでしかない。

18歳、19歳のAV出演の問題も、緊急避妊薬のOTC化も、中絶薬の問題も、わたしは本当にずっと頭に来ている。

数日前、知人に誘われて『彼女たちの断片』という舞台を観に行った。妊娠中絶にまつわるこの国の現状を真正面から描いた作品だった。歴史的背景など知らないことも多く、勉強になった。辛いなぁと思いながら観た。言葉にされることもなく、知られることもなく、もしかしたら本人にすら気づかれないままの痛み、たくさんの女性たちの苦しみ、悲しみ、傷、そういうもののことを想う。

舞台では中絶やレイプや性的指向について、語り始める、そういう女性たちの姿を描いていて、知人の男性は「素晴らしい作品」としながらも「あれを体験者が観たらどう思うか」「語ることだけが必ずしも正解ではないのではないか」ということを言っていて、確かにそれぞれの形があるだろうと思ったけれど、それでもやっぱり“それ”を語る、語る言葉を持つということは、癒しの大きな助けになるから、やっぱりわたしたちは語ることが、語り始めることが大切なのではないか、ということを思ったのだった。

3月も終わるし、わたしはいい加減生きなくちゃ、とまた今日も思う。とりあえず今日は食事を控えめにしてちゃんとぐっすり寝よう。今朝久しぶりにギターを手にしたらやっぱりすっかり埃をかぶっていた。なにも言わずにいつも部屋の隅でじーっとしているわたしの二本のギターたち。

花見の時期だなー桜を見に行きたいなーと思うと、去年のことを思い出してちょっとなんていうかいたたまれない気持ちになる。