2022.02.14 #SaveKatoku

きのうはいつもの変なスイッチが入り深夜に酒を飲みながら久しぶりの暴食をして、Big Theifの新譜をモニタースピーカーで歌詞を見ながら一周聴いて、そうして気が済んで少し吐いてからベッドに入った。

アラームをかけないで眠ったら一度も目が覚めないまま気がつけば昼であぁなんという自堕落、と思うけれど、今月はゆっくりすると決めたのだし、約束も急ぎの仕事もないから誰に咎められるいわれもない、大丈夫。

ベッドの中でうだうだスマホを見ていれば、嘉徳浜護岸工事についての投稿。いよいよ始まろうとしているらしい。

わたしは何年か前の夏、数ヶ月間奄美の加計呂麻島というところで暮らして、いまでは奄美を第二の故郷のように思っている。いわゆる大自然の残る場所に出掛けていく経験はあっても、その中で暮らすのは生まれて初めてのことだった。陳腐な言葉しか出てこない自分が情けないけれど、それくらい、海も、山も、空も、すべてが圧倒的で、その力強さ、美しさから人間が受け取れるものの大きさを、わたしは奄美の地で初めて知ったのだった。

それでも、美しい浜のほとんどにはコンクリートの堤防が建てられており、穏やかな波が海面を揺らしているその場所に冷たくそびえる醜いそれらは果たして本当に必要なのだろうかと思わずにはいられなかった。昔はすぐそこまでずーっと一面珊瑚がいたんだけど、と悲しみ憤る声を何度も聞いた。真っ白な砂が削られ、どこかに運ばれまた別のどこかのなにかを埋め、そしてその後ろにある金とか利権とか、考えるのもしんどかった。

奄美大島の、わたしは行ったことがないのだけど本当に綺麗だと何度も名前は聞いてきた嘉徳浜。自然のままの浜が残る集落は奄美大島でももう嘉徳だけになってしまったのらしい。

その場所で、いままた護岸工事が行われようとしている。

友人知人たちが声を上げ、署名活動をしたり、声を届けるために浜でのフェスをしたり、そういう様子をわたしはSNSで見ていた。あのみんながこれだけ行動しているのだからきっと大丈夫だとなんとなく思っていた。離れた場所にいる自分には、当事者でない自分にはできることはあまりないようにも感じていた。

そしていよいよ工事が始まろうとしているいまになって、そういう自分を悔い、恥じている。わたしはこの二年間、いったいなにをしてきたのだろう。なにを学んできたのだろう。なんて進歩がないのだろう。

護岸工事について、十分な地域住民との情報共有や事前調査はなされておらず、専門家からはこの工事によって逆に災害を招く恐れがあるとの指摘もあるそう。

本当は反対だけど声をあげたら村八分にされるから、といった声もあるそうで、地域の事情、特有の難しさもあるのだろうと想像する。

嘉徳だけに残された豊かな生態系を壊し、美しい景観を壊し、目先のちっぽけな利益を求める、そこから生まれるものはいったいなんなんだろう。

国民の8割が反対しているといわれた東京五輪も、世論調査で6割以上が賛成しているのにちっとも進まない同性婚も、夫婦別姓も、入管問題も、貧困も、暴力も、差別も、なにもかも、わたしたちはなんでこんなに何度も何度も無力を突きつけられなくてはいけないんだろう。その背後にあるものは、この大きな力はいったいなんなのだろう。

これらのことはぜんぶ、この間に潰れていったライブハウスや飲食店、上がり続ける消費税、上がらない賃金、苦しく窮屈になる暮らしや社会、そういったものとぜんぶぜんぶ地続きで繋がっている。

わたしはもう二度と、「わたしは無力だ」「わたしたちは無力だ」と思いたくない。そしてそんなことを思わせる社会で暮らしたくない。

ECDさんの言葉を思い出す。ひとりにはひとり分の力がある。

最後の “ジュラシック・ビーチ”奄美大島・嘉徳海岸を 巨大な護岸建設工事から救おう!

https://chng.it/SFW7DvkQxx

https://amamiworldheritage.org/petition/save-katoku-beach-jurassic-beach/ja