2024.05.15 までの距離

駅に向かって歩いていたら坂の途中で友達に会い、踏み切りのところでまた別の友達に会った。きのうの夜も駅前で友達とすれ違った。なにか引き寄せている。地元。

山手線が苦手なのでなるべく乗らないようにしているのだけど、試しに乗ってみたらやっぱり避ければ良かったという気持ちになっているいま。つらい。こういうときわたしはやっぱりもう東京には住めないかもしれないなと思う。べつに山手線に乗らずとも東京にはもちろん暮らせるのだけどさ。

音楽はいつまで経っても果てしなく遠いのだけど、あ、いまほんのちょっとだけ近づけたかも、と感じる瞬間というのがときどきあって、その瞬間をずっといつでも求めているのかもしれないと思う帰り道。久しぶりに皆さんに会えてとてもとても嬉しかったですaqubiも麦さんも素晴らしくツバメスタジオて出来て嬉しかった、どうもありがとう

ライブの帰り道に書いたメモというか日記というかなんというか。本当に良い時間だったな。なんかやっとちょっと良いライブが出来るようになってきたのかもしれないと思った。あとライブはやっぱりみんなに会えるからいいなとも。しみじみ。久しぶりにわたしの音楽を長く気にかけてくれているひとたちに会えてそのことがとても嬉しかったのだった。次はいつかな。麦さんがMCで言ってくれた言葉をこれからのお守りにする。

翌日はすっかり腑抜けて、お酒が残っていたこともあり寝坊をして一日パジャマで好きなものを好きなときに食べて昔のドラマを見るなどしてだらだら過ごした。久しぶりに何もしない一日、良いライブをした次の日の過ごし方としてとても良いね、と思った。

友人とあっという間に別れて渋谷駅。帰りは東急で帰る。やっぱりこっちの方が全然いい。それにしても公共の場の蛍光灯はどうにかならないのかしらと思うけれども。今日は一滴も酒を飲まなかった。ライブ後久しぶりに飲んで(楽しかった)きのうも少し飲んだので今日はなしでちょうど良かった。例えば肉を食べることなんかもまさにそうだけれど、当たり前に思っていても実はなくても全然平気なものというのは日常の中にとてもたくさんあるよね。とかいって明日は友達のライブを観にライブハウスに行くから飲むけど。メリハリ、かしらね。

これまでいくらでもチャンスや機会はあったであろう起こり得たであろうことがいまのこのタイミングで起こるのか、みたいなことって人生であるよね。全然、いまじゃないんだけど、みたいなこと。タイミングの妙。それはやっぱりつまりは「違うよ」っていうことなんだろうか。まぁでもそれだって決めるのは結局自分であって、それをどう受け止めるかを決めるのも自分であることに間違いはなく、だから結局そういうことではあるんだけど、でも最近は前よりも「答え」が近くなった感じがする。自分の中の。自分の中で。

距離の話でいえば相変わらず言葉までの距離はとてもとても長い。言葉はいつも遠い。ということをこの間改めて考えて、でもそれは言葉までの距離が遠いのではなく、本当は言葉はとても近くにというか自分と一体のものとして常にあり、だけどしかしそれを外に出すまでの時間が長いということなのかもしれない、と思った。そして最近は、一生懸命になって外に出そうとしなくても良いよな、と思うようになった、というか、この間体内の言葉を体外の言葉に変換しようと試みている最中にふとそう思った。それは、言葉にしなくても伝わる、ということではなく、すっと外に出てくる然るべきときがきっとちゃんと来る、という、そういうようなこと。目に見える言葉あるいは耳に聴こえる言葉にどうにかしようとしばらく考えたことをだからわたしは結局そっと心の中にしまった。そしてそのことをとても「ただしい」と感じた。