2022.05.05 瞼と重力

きのうは急な誘いがあり、お店を閉めたあと少しだけ飲んで帰った。下北沢のお店はどこも混んでいて三軒覗いたがすべて満席で、路地を入ったところに海鮮系の居酒屋があったなと思い出し久しぶりに入ってみれば席が空いていた。下北沢でしょっちゅう朝まで飲んでいた頃、女性ミュージシャン友達ばかりが集まってたしか6人だったか、早い時間からしこたま日本酒を飲み、お会計のときにレシートをみたら二号のお代わりを積み重ねた結果何升かの日本酒を飲み干していたことがわかり(何升だったかは忘れてしまった)以降わたしたちの間でちょっとした語り草になった、という思い出の店だった。はずなのだけど、すっかり内装が変わっていて違う店のようになっていた。お店のひとの感じも違っていたしもしかしたら本当に違う店になっていたのかもしれない。喉が乾いていたし久しぶりの生ビールが美味しくてごくごく飲んでいたらあっという間に頬が紅潮していくのがわかった。店を出るまでに飲んだのはたったの二杯だったけれどなんとなくお酒が回っている感覚があり、まったくお腹は空いていなかったのにサラダやお刺身やつまみや、当然のようにぱくぱくと食べ、そして久しぶりによく喋っていたような気がする。最寄りの駅を降りてコンビニに寄ってシュークリームを買って帰り、部屋で冷蔵庫にちょうど一杯分だけ残っていたワインをグラスにあけ、読みかけの小説を読みながら食べて、眠気がやってきた頃にベッドに入った。

そうして今朝はまた昼近くまでベッドから出られず、起き出してからも瞼がずっと重たく、きのうはそんなにひどかっただろうかと不思議に思って考えてみればなんてことはない、生理のせいだった。とても、とても眠い。天気も良いし一日中眠っていられるような気がする。そんな風に一日過ごせたらどんなにいいだろう。だけど別に本当はそうしたっていいし、誰に怒られることもないのだけど。でも今日は制作の続きをやると決めている。

又吉直樹の『人間』が文庫化されて、少し前に本屋の店頭に平積みされているのを見かけて迷わずレジに持って行き購入していた。訳されていない日本語の物語を無性に体が欲しており、村田沙耶香の『地球人間』も一緒に買い、その次の日か次の次の日に西加奈子の『舞台』も買っていた。貪るように次々読もうと思っていたのだけど夢中で読んだ『人間』を読み終えてもすぐに別の小説を読み始める気持ちにならなくて、余韻というか、物語の中からまだ出たくないような気持ちになって、もう一度初めから読み始めた。こんなふうに同じ本を二回連続で読むのは初めてのことだと思う。読みたい本はいつもたくさんあり、わたしは欲張りだからいつも次へ次へと新しい本を読みたくなってしまうのだけど、最近は同じ本を何度も繰り返し読むということに興味がある。人間の登場人物たちが太宰の人間失格をぼろぼろになるまで読んでいて、あるいはその影響もあるのかもしれなかった。

友人にもらった手紙に、わたしには自分のだらしないところは見せられない、でもそれは隠しているわけではなくわたしを尊敬しているからだ、というようなことが書かれていて、わたしは昔からなんとなくちゃんとした人間であるかのように思われる節があり、そういう自分の性分を自覚している部分がないわけでもないけれど、まったくもって一ミリもちゃんとしていない部分も当然のようにまたあるのであって、例えばきのうは深夜にシュークリーム食べちゃうし、今日だって昼まで寝ちゃうし、とか、そういうことを思うのだけど、でも自分のそういうところをひとにわかってもらうというのはなんだかいつも少し難しくて、みんな好きなように思ったらいいよ、と結局いつも思い、でも勝手に決めて勝手に失望するのはやめてほしいな、と思う、だけどその友人には全然そんなことはないよ、ということを返事に書こう、ということを考えていた。