2022.05.03 無意識とは意識的でない状態のこと

さっき部屋で出掛ける準備をしていたとき、具体的には寝室の鏡の前で目の下にコンシーラーをのせていたとき、その何分か前に思い浮かんだ言葉をあぁこれは忘れるから書き留めておかなくちゃと思っていたことをふっと思い出して、あれその言葉はなんだったっけと思って、一瞬考えてすぐに思い出したから急いでデスクに行って書き留めた。いつも「あ、忘れるからすぐやらなきゃ」と思うのにその瞬間にやっていることを継続しているうちに結局忘れて、忘れていることも忘れる。

(この間お風呂で思い浮かんだ言葉のことをあれからずっと考えているけれど、ついぞ思い出せない。もうどこかに行ってしまった。いつかもしも思い出したとき、それが、あのときに忘れたあの言葉だとわかるのだろか。それともどこかで聴いたような気がするけどどこでだっけ、と思うのだろうか。もしくは思い出すのではなく新しく思い浮かんだ言葉としてもう一度出逢いなおすのだろうか)

そうして、その言葉を思い浮かんだときの映像が頭の中に戻ってきて、それはダイニングデーブルの上の花瓶に生けられた花たちで、そしてそれはソファに座ったときに見える画角だった。でもあれわたしはなぜ用もなくソファに座っていたのだっけ、と思って、でも思い出せなくて、そのうちわたしは本当にソファに座っていたのかどうかさえ疑わしくなってきて、でもその画はとても鮮明にそこにあり、しばらく考えてあぁそうだわたしは歯磨きをしていたのだとようやく思い出したのだった。わたしは歯を磨くとき洗面台の鏡の前でじっとしていることができなくて、いつも部屋でなにか他のことをしながら歯を磨く。今日はソファに座ってぼーっと花を見ていた、のらしかった。だけどあまり記憶がなくて、思い浮かんだ言葉と花の画だけ、その一連の行動の圧倒的無意識のことを思った。

今朝は久しぶりに大量の野菜のスープを作って、あときのう八百屋さんに新じゃがが出ていたから買ってきて舞茸と茗荷と一緒にポテトサラダにした。お店の仕事に行く日は朝料理をすると時間が押せ押せになってバタバタと出掛けて行くのが常なのだけど今朝はやたらと時間があり、コーヒーを飲みながら本をゆっくり30分も読めた。それはなぜかといえば今朝は8時過ぎにはベッドを出たからで、なぜ早起きできたのかといえばきのう早い時間に夕食を済ませて、夜おやつは食べたけれど(買い物帰りに買ったたい焼きとシュークリーム、たい焼きは歩きながら、シュークリームは帰ってから白ワインのアテにして食べた)それも18時とか19時とかでその後はなにも食べずその後早めにベッドに入ったからなのだった。毎日こんな風に過ごせたらいいのにな。

2月以降ずっとのんびりした日々が続いていて、3月4月は使いものにならなかったからまぁ結果オーライとして、ようやく調子も戻ったことだしそろそろ働かなくちゃと思うけれど働こうと思ったとて仕事がなければ働けず、すぐすぐ銀行の残高がゼロになる状況ではないが確実に減っていくことには違いなく、どうしようかなぁとぼんやり考えているこの一週間ほど。そうして今朝ベッドの中でたまたま見かけてなんとなく開いた占いを読んでみれば「どこからともなくお金が入ってくる、そしてその流れは今後半年つづくから何も心配いらない」というようなことが書かれていて、ほう、と思ったりしたのだった。いつかの仕事でまだ振り込まれていないものやまだ請求すらしていないものが複数あり、それらをなんかもしものときのへそくりみたいに思っている。こんなことをあれこれこねくり回していたとて、だいたいいつもどうにか、というか、なるようになるのだった。

今日はこれ以上ないくらいの洗濯日和だったから洗濯をしたかったけれど全然洗濯物がなく、この間、わたしたちが洗濯によっていかに大量の海洋プラスチックを垂れ流しているかという記事に、洗濯はなるべく回数を減らすべしということが書かれていて、それ以降気軽に洗濯が出来なくなってしまった。もちろんそれは良いことなのだけど。

さっき橋の上から河原で石を投げて水切りしている男性を見かけた。石は3〜4回跳ねていたようだった。大好きな『君の名前で僕を呼んで』という映画の中で水切りのシーンがあったような気がしたけれど具体的には思い出せなくて記憶違いかもしれないと思った。3回も観たのにはっきり覚えていない自分をなんとなく恥ずかしく思う。Amazonプライムに出ていたからまた観よう。