2022.07.03 そして知らないうちに7月、また

それが、言葉にならないからといって存在しないということにはならないし、間違っているということにもならない

ということを、さっき乗り換えの駅のホームを歩きながら考えた。落ち着いてゆっくり思考と向き合う時間をとれていないと気づいてそしてそれがいまとても必要な気がして、お腹も空いていなければ喉も乾いていないけれどカフェにやってきて、特に飲みたくもないアップルティーを注文した。

なんだか、慌しい。チェックリストが少し落ち着いたかと思えば、音楽業界4団体が今井絵里子・生稲晃子両氏の支持を表明したという目を疑うようなニュースが流れ、混乱の中寝る間を惜しんでみんなで抗議文を書き、発表した。瞬く間に拡散されている。

賛同の声も多ければ、罵詈雑言も多く、考えてみれば過去に扱ったどのイシューよりも賛否が分かれやすいのかもしれない。そのせいか、暑さのせいか、なんだか少しくたびれているような気がする。食事をするとその後30分から場合によっては1時間ほど胃がキリキリと痛む。先月モデルをやるために少し食べる量を減らして、その後もなんとなくそのままにしていて、でも思ったほど痩せないなと思っていたらこの一週間ほどでするする体が小さくなったような感覚がある。アップルティーがあまり美味しくない。

この2年と少しの間、本当にさまざまな、それまでだったら考えられないようなあれこれに参加をしてきて、でもまぁなんていうか報われたと感じることというのはほぼ皆無と言って良く、でも地元の友達がSNSでチェックリストをシェアしてくれているのを見かけてありがとうと伝えたら、18歳の姪っ子がはじめての選挙だからリンク送ったよ、と言ってくれたり、母親がずっと自民党に投票をしていてそういうものだと思っていたけどでも違うのかもしれない、と言っていた22歳の知り合いにチェックリストを送ったらとても喜んでくれたり、7日のイベントに高校生の友達を誘ってみたら二つ返事で行くと連絡があり、誘ってくれてありがとうと言ってくれたり、そういうのは、やっぱり嬉しいなと思う。

抗議文への賛同人リストの中に友達の名前を見つけることにも、とても心救われる想い。別にわたしのために賛同しているわけでは全くないと、わかっているけれど。

音楽にしろ社会と関わるあれこれにしろ、うっかり口を滑らせて弱音や愚痴を吐こうものなら「好きでやってるんだから」の矢がものすごい速さで飛んできて、それは全くその通りだと思うけれど、でも疲れたときには優しくされたいし、頑張ったと思うときには労われたり褒められたりしたら嬉しいし、またもう少し頑張ろうと思うし、それはいたって自然なことなのじゃない?それを求めるのはそんなに悪いこと?とも思う。

今日はそんなことを考えて、Instagramのストーリーに書いて、そうしてお店に向かっていたらべべちゃんから犬のピーターが亡くなったという連絡が来て、駅のホームで泣いてしまった。

たくさんの情報と感情が交差して飽和して、暑くて、汗をべたべたかいて、夜があまり眠れなくて、だからちょっとへばっているのかもしれないな。

あと一週間で選挙も終わる。そうしたら、いろいろもひとまず終わる。根津さんと久しぶりにふたりでゆっくりおいしいものを食べに行く約束をした。とりあえず生きなくちゃな、と思う。