2023.01.12 石ころと切り株

なんとなーくあんまり元気が出ないままずるずるともうすぐ一週間。この感じはなんだろう。週末に思い立ってとても久しぶりに断食をした。去年もおととしも何度もやろうとしてでもできなかったことが、年を跨いだというだけでこんなにもあっさりとできた。そうしてきのうもまた断食をした。来週もきっとするだろう。物事のタイミングの不思議を思う。断食をするといつもどちらかというとエネルギーが湧くのだけど。いまは単純に体調があまり良くないのかはたまたなんとなく気分の問題かもしくは季節のせいなのか。そんなわけなのでぼんやり省エネモード。何日か前まとめて葉書を書いてポストに投函したのだけれどうち一枚は規格外のサイズだったために切手の料金が足りずに戻ってきてしまった。それを出しに行きたいのだけどなかなか外に出れそうもない。

外に出るのはほとんど決まって夜だったけれど、年が明けてからはまだ明るい時間にぽつぽつ外に出た。ある日は午前中の早い時間に久しぶりにながーい散歩を、川沿いを、ずーっと歩いて、水のそばまで行って、転がっているたくさんの石ころがみんな同じように丸っこくてほとんど白といってもいい薄い灰色をしていて、みんな同じような道を辿って同じような姿になって同じようにここに来たのだなということを思って、そうして石に絵を描くワークショップをしているさよこさんのことを思い出した。

きのうはお昼に外の空気を吸いたくなって部屋を出て、家の前の河川敷をほんの少しだけ歩いて、伸びをしたりして、そうして部屋に戻ろうかなと思ったら河原で土手に座ってぼーっとしているひとが視界の隅に見えてあぁいいなぁと思って見回してみるととても大きな切り株が目に入って、何度も来ている場所なのにその存在に初めて気がついて、そばまで歩いて行った。直径1メートル半ほどだろうか、この木が立っていたときはどんなにか立派だっただろうかと考えたけれど、跡形もなく切られてしまったその残りの根本の部分はしかし腰掛けるにはちょうどいい高さで、座らせてもらって、川を眺めて、正午を過ぎたころで陽射しがとても眩しくて目が痛いくらいで、暖かくてわたしは気持ちがよくてそのまま切り株の上で仰向けになった。真上を見上げると雲ひとつなく真っ青で、でも青にはグラデーションがあり濃いところと薄いところがあった。外で寝転がるなんてずいぶん久しぶりだと思いながら目を閉じるとそれでもまだなんだか明るくて、そうして瞼の裏が赤かった。あれ瞼ってこんな色だっけと思って、太陽の陽が助けているのか血管の色なのかと考えて、そういえばこんな描写をなにかで読んだ、たしか又吉直樹の小説だと思ったけれど人間だったか、劇場だったような気もする、みたいなことを考えた、思った。