2023.06.11 海底

書きかけというかほとんどぜんぶ書き終えたけれどなんとなくアップせずにいた数日前の日記を読んでみようと思ってメモ帳を開くけれどまたすっかり消えていた。けっこう良かったような気がしていたのに。でもだったらなんでアップしなかったんだろう。

なんだか急激に、ありとあらゆることの意味というか意義というかそういうものが薄れているような気がして、淡々と読んでいる小説やぱらぱらと観た映画や、出掛けて行ってみた展示や、そういうものに確かに心が動いた、ような気がしてもそれは水面上で起きていることであって、それよりもうんとうんと下のほうにいるわたしには関係のないことのように思える。

この間友達が作ってきてくれた、天然酵母の手作りのパンのサンドイッチがとても美味しくて、天然酵母のパン作りはやってみたいとずっと思いながらもなかなか手が出ず、しかしついにやってみようという気持ちになって、瓶の中にレーズンと水を入れてしばらく窓辺の暖かいところにおいて酵母を起こして(思ったより時間がかかってこのまま腐ってしまうんではないかと思ったけれど、そのうちしゅわしゅわと気泡が出てきてちゃんと酵母になった)そうしてそのうちパンを作るかもしれないという少しの期待とともにいつか買っていた全粒粉に少し米粉を混ぜて酵母と一緒に捏ねて(今度は水分が足りないかと心配になったけれど根気強く捏ね続けるときちんと丸く綺麗にまとまった)本に載っているようなそれを丸ごと入れておける背の高い密閉容器がなかったのでストウブ鍋に入れて蓋をして昼過ぎにのそのそと家を出て、夜帰ってくればちゃんと膨らんでいて、それから形を整え直して今度は布に包んで二次発酵というのを一時間くらいして、夜な夜な焼いた。割とちゃんとパンっぽく焼けて、しかし焼き上がったのが23時とかだったから明日食べようと思って君島さんから送られてきたデータを何度か聴いて、また明日聴こうというところまで聴いて、ベッドに入って、今日は久しぶりに二度寝をして10時くらいまでベッドの中でのんびりして、ゆっくりゆっくり起き出して、それでも少しヨガやストレッチをして、キッチンは焼いたパンのにおいがまだしていて、それは知っているにおいだったけれどああそうかこの独特のにおいは天然酵母のパンのにおいだったのかと思って、それからこんがりと焼き色のついたまん丸くずっしりとしたそれをスライスしてトーストして、端っこの小さい切れ端にはオリーブオイルと塩胡椒、もうひと切れにはピーナッツバターに蜂蜜とバナナのスライスを載せて、コーヒーも淹れて、食べた。ほどよい重みがあって詰まっていて、ふわふわし過ぎていなくてでも硬くもなくて、わたしの好きな感じのパンだった。途中でお腹いっぱいになるかなと思ったけれどそうでもなく、ちょうどよく食べ切って、満足して、お皿やカップをキッチンの流しに運んだ。

ぜんぶ自分のためだ、自分のためだけだ、と思う。この全部はわたしだけのためのもので、誰かにひけらかして見せびらかしたり自分をよく見せたり認めてもらったりするための道具ではない、そうではない、わたしが作る食べものも、わたしが選ぶ家の中にあるすべても、読む本も観る映画も出掛けて行く場所も、ぜんぶわたしの、その瞬間の、ためのもので、それ以上でも以下でもなく、ただそれだけのものだ。もの、なのに。

なんだかひどくくたびれていて、でもそんなにくたびれるほどなにをしたのかと考えてみてもよくわからなくて、そうしてそういう弱音みたいなものをからだの中で呟いていれば、甘えるな、お前はそんなだから、だから、という声が背中のうしろの右や左から聴こえてくるようで、そのことを怖いと思うけれどでもわたしはやっぱり未だに(未だに?)なにかから逃げているんだろうかという気持ちもあって、本当のところはどうなんだろう、と考えてみれば、べつに本当も嘘もへったくれもなんもなくて、あとには結果、つまり事実現実が残るだけで、それ以外はぜんぶ後づけ、ということでしかないのだった。ぜんぶ、わたしがなにを選んでも、それはわたしの中のちっぽけな世界の中のことでしかなく、ただそうでしかなく、その圧倒的な果てしなさに性懲りもなくまた途方もない気持ちになる。