2023.06.21 寂寞

二度目のパンを焼いた。前回は大きなまんまるのどっしりしたのを焼いて、今回は小さなシナモンロールとカルダモンロールを2個ずつ、残りの生地も小さく丸めて焼いた。スペルト小麦というものの存在が長らく気になっていたけれど日頃あまり小麦粉を使わないから買う機会がなくしかしパンというのはどうしても小麦なのでようやく買ってそれで焼いてみたらとても美味しい。レーズンと水で起こした酵母、それと小麦粉と少しの塩と油(またはみりん)だけでこんなふうに膨らんでパンになるのだ、と思うとなんだかはっとするような思い。

きのうはCLPで二度目の司会。刑法改正、性犯罪規定について。改正に向けてずっと尽力されてきた方々のお話を訊くことができて、本当によかったなと思った。感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになった。ひどいことばかりが続く中で久しぶりに希望を感じるニュース。声をあげ行動を続けてこられたひとたちのおかげ。

最近はなんとなくあまりコーヒーを飲まなくなっていたけれど、まりちゃんから野ばらのオリジナルブレンドが届いたのでそれからはほとんど毎日コーヒーを淹れている。自分で焼いたパンと、友達が焙煎した珈琲。そうして音楽をかけて、ぼーっとする。風が吹いて、目を閉じて、音楽が耳から体の中に入ってきて、そうしてやっと少し自分が自分に近づくような感じがする。

ミックスは本当の本当にあと少し。出来上がったらいちばん早いタイミングで出そうと思っていたけれど、なんかそうじゃないような気になってきていて、というか中身以外のことが全然進んでいない、というか、進んでいたけれど迷ってきてしまってまた考えなくてはいけないなと思っているので、まあ、いろいろ整った良いタイミングで出せばいいか、といまは思っている。文章をまとめたものを作って出そうと思っていたけれど、きのうの夜お風呂に入って髪を洗っているときにふとあれ、という気持ちになって、なんかもしかしたら作らないかもしれない。自分の作ったものを世に出すということは、つまりその“もの”にその価値があるということを自分自身が信じているということだ、ということを思って、だけどこれまでに出してきた音楽作品に関してあまりそんなふうに考えたことはなかった(信じていなかったということではなく、価値云々について具体的な思考をしなかったという意味で)ような気がして、文章の作品、なにかに付属する形ではない独立した文章のための作品、というものを、自分が作るとして、果たしていま自分が構想しているような内容で、自分自身がその価値を確信できるのだろうか、ということを考えるとなんとなく揺らいでしまって、そんなんだったらわざわざやらんでよろしい、という気持ちになって、でもまあ、やってみて考えてもいいし、やってみることもいいのだけど。そういう、いつもの、ひとり相撲の逡巡。

最近はずーっと眠くて、だからといって朝寝坊するようなことはないけれど、よく昼寝をするようになった。ソファで本を抱えてまま横になって少しうとうとする。最近はあまり食べたいものがなくて、料理もほとんどしていなくてそんなのは人生で初めてのことだけれどまあそういうときもあるんだなあという気持ちで、日々、決まった時間だけ仕事をして、ときどき長い散歩に出て夕暮れの街を眺めながら音楽を聴いて、本を読んで、読んで、読んで、送られてくる音源を聴いて聴いて聴いてはここはああとかどうとかのやり取りをしてそれを繰り返して、そうして思い出したようにギターを弾いて歌を歌って夜の中に吸い込まれていって、なんだかとても、とても静か。