2024.04.25 日向

沖縄から帰ってきてからずっと天気が悪く、持ち帰った洗濯物も回せず部屋の掃除その他もあまり気が進まず、という感じだったのだけど今日になってようやく晴れ。雨上がりの新緑の匂いが立ち込めていて、うっとりするほど気持ちが良い。わたしは良い気分になって週末でもないのにパンケーキを焼いて、今日二杯目のコーヒーを淹れて外の席でひと息付いた。考えてみれば沖縄はずっと雨/曇りの予報だったのに、結局滞在中は初日を除いてずっと晴れていた。ありがたいことだ。今日は沖縄にも負けないくらいの陽気。日差しがいたいくらい。

沖縄の最後の夜、さよこさんとのライブペインティングの夜の、余韻がずっと消えなくてわたしはなんとなくぼんやりしたままで、だけど当たり前に日常は続いているので、ぼんやりしたままふわふわと暮らしている。でもまぁ、それはいつもか。どうしてあの夜はあんなに特別な時間になったのだろうかと、荷解きをしながら振り返り、考察した。石井ちゃんが用意してくれた環境、さよこさんが隣にいてくれたこと、あの場所であのコミュニティのひとびとが培ってきた土台みたいなもの、休憩の間に飲み始めたビール、とかとかなどなど、思い当たる要因はいろいろあるのだけど、思うに、いちばんはお客さんのおかげだった。エントランスフリー&出入り自由のイベントだったので、みんな入れ代わり立ち代わりという感じになるだろうと思っていたので、セットリストは様子を見ながらあまりきゅーっとなり過ぎないようにどちらかというと軽めにした方が良いだろうかどうだろうかしかし最早軽め、みたいなものはいまのわたしには難しいなどうしようかなと思ったりしていたのだけど、開けてみればほとんどみんな最初から最後までじっと集中して聴いてくれて、わたしは演奏しながら、あ、これはもっともっといっていい、いった方がいい、いっても大丈夫だ、と思った、だから普段だったら出来ない即興の演奏も自然に出てきたりして、さよこさんの絵を時折眺めながら、流れに任せてのびのびとしかし集中して演奏が出来たのだった。終わってからあぁ今日のはちゃんとライブ録音しておくべきだった、そしてさよこさんが描いた絵をアートワークにしたらよかった、と思ったほどだった。どうしたらこれからもああいう夜を作れるだろうか、作り続けられるだろうか、ということを考えている。

でもなんか、これは前々から思っていることだけれど、わたしはもっとちゃんといろんなものを、いろんな重みを、もっとちゃんと背負わないといけない。それは聴きに来てくれるひとたちへの責任とか、お金をいただく責任とか、場や環境を与えてもらう責任とか、関わってくれるひとたちへの責任とか、そういうことはもちろんとして、加えてなんというか、自分自身を肯定し引き受ける、自分を軽んじない、自分自身の重さにもっと自覚的になる、そういうことへの必要性、重要性、みたいなもの、のように思う。でも最近はめきめき周りのいろいろが気にならなくなってきて、自分という存在が自分の中で立ち上がってきているような感覚があるから、このままで、あの日あの時間のことを忘れずにいたら大丈夫なのかもしれないという気が、いまはしている。

沖縄にいる間出来なかったSam Evianのワークショップの宿題を少しずつキャッチアップすべく、曲作り。なかなか、ぐぐぐ、という感じだけれど近づいてはきている、という感じ。少しずつ先のことをイメージしている。とにかく曲をたくさん作りたい。