2024.04.27 今日も雨

そんなわけで今日も雨。この冬初めて石油ストーブというものを買い暖を取っていたのだけど、季節を過ぎたら中に残った灯油を抜いて仕舞わなくてはいけなくて、それをようやく今朝やった。沖縄から日曜の深夜に帰って、月曜からはずっと仕事だったのでようやくの休み、ゆっくりストレッチをして、出しっぱなしになっていた洗濯ものを片付け掃除をして、溜まっていたいくつかの返信、それからピアノを弾き、小さいひとと遊ぶなどしていればあっという間に午前中が過ぎる。そしてなんかよくわからないけど食欲がすごい。ぱくぱくぱくぱく特に糖質を接種している。あとなんか珈琲がやたら飲みたい。寒いからかな。

沖縄から帰るといただきものらしい無農薬の立派なレモンがごろごろと台所に置かれていて、おとといレモンケーキを作ってとても美味しかったのだけどそんなのはレモンをたったの半分しか使わないので、今日はたっぷりのレモンカードを作ってタルトにしようと思っていた。レモンカードというのは前に一度だけ作ったことがあるけれど何せ煮詰めるのに大変時間がかかるので心身ともに余裕があるときでないと作れない。しかししかし今日は雨で寒くて全然そんなのやる気がなくなってしまった。それよりもむしろわたしはいまブラウニーが食べたい。寒いとチョコレートが食べたくなるのはどうしてだろう。と思いながら結局昼食後にはいただきもののゴディバのチョコレートアソートの箱をついにいそいそと開けて、大粒のそれをふたつ、大きなマグたっぷりに入れたカフェオレと共に、食べた。ゴディバと言われるからゴディバと思うだけで、ブラインドテスト的に食べ比べたらわからないのではないかとちょっとした疑いのような気持ちで齧ってみればやっぱりどうしたってその甘さにはなんとも言えない品の良さみたいなものがあるので。

数日前、小さな猫がうちにきた。白に少しグレーの混じった、何というか、非常に気品の溢れる美しい猫なのだけれど、これがひどい甘えん坊で、人見知りや警戒心を見せるどころかなんの壁もなく会った途端に常にくっついてくる。もう長く一緒に暮らしているかのように。撫でる手を休めると撫でろ撫でろとしつこく肉乳を押し付けてくる。

この家にはもともと二匹のきょうだい猫がおり二匹はたいそう仲良く暮らしていたのだけど、一匹が数ヶ月前に突然病気で死んでしまい、残された一匹があまりにも寂しそうなのでどこかに子猫いないかななどと言っていたらこの拾い猫が知り合いづてにやってきた、ということなのだった。しかしまだ全然打ち解けておらず、小さいほうが大きいほうに近づいていけばふーふーしゃーしゃー言われる始末。時間をかけて仲良くなるんだろう少しずつ、きっと。

それにしても、膝の上で安心し切ってお腹を上下させながら眠っている小さい生き物を撫でていると心底愛おしい、みたいな気持ちが芽生えてきて、小さいものへのこの類の感情というのはいったい何であろうか、みたいなことを考えた。でも仮にこれが大型犬とかもっといえば熊とかあるいは人間の大人であったとしても同じように同じくらいの愛おしさを感じるのではないか、と思った。つまりはぬくもりとか体温とか、信頼されている、必要とされている、ということに対するなんらかの応答、とか、なんかそういうことなんだろうか。

ほんの二週間いない間にうちの小さいひとはずいぶんと語彙が増え喋り方もなんだか変わっていて、歌えなかった歌も上手に歌えるようになっているしほとんど別人のよう。見るからに背も伸びて全体的にひと回り大きくなった。あっという間に変わっていく。それは本当に奇跡のようなことだと思う。きのう、ようやく彼女をフィルムのカメラで何枚か撮った。

きのうの夜も粘って粘ったけれど、曲は曲にならず。しかし考えてみればわたしは基本的に言葉がないと曲が作れないのでそうだったそうだったと思ってノートに向かってみるけれど、ついさっきまであちこちにあったはずのさまざまの思考や想いたちはさーっと水を打ったようにどこかへ行ってしまって、あれなにを書きたかったんだっけ、としばしぼんやりして結局よくわからなくなってしまった。そうしてそんな頭を引き摺りながら湯船に浸かればふと「あぁわたしは本当はもうとっくに許されていたのだ」と気がついた(こうしたある種の悟りのような思考は大概風呂場で訪れる不思議)。許されることへの希求、のような気持ちをある意味ではずっと歌ってきたように思うけれど、では許されていることに気付いた、気付いてしまったいま、これから、わたしはなにを歌うことが出来るだろうか。

ワークショップを受けたAdrianne LenkerもSam Evianも揃ってsong-a-dayを強く勧めており、それはつまりなんでもいいから一日一曲書くという”exercise”で、二人とも定期的にやっているのらしい。Samはそれをsongwritingの筋トレ、というように表現していて、あぁ確かにそれは確かにそうね、と思った。筋肉がわたしはすっかり落ちているようであるので、世の中のゴールデンウィークという期間中わたしには綺麗さっぱりなんの予定もないし、思う存分ひたすらに曲を作ろうじゃないかと、思っている、そういう所存。