2022.03.11

年始にBluetoothのイヤフォンを失くしてしまい、それ以来、ひと昔前はみんなが使っていたAppleのコード付きの白いイヤフォン引っ張り出してきて使っている。それはなんかちょっと面白い。なにが面白いのかわからないけどなんとなく面白い。絶妙なクラシック。

おととい髪を切ったけれど、今朝鏡を見たらあまりいいと思えなかった。いいと思える髪型になることはけっこう少ない。次は久しぶりに違う美容師さんのところに行こうかな。

今日は早起き。少しぶりに議員会館に向かっている。文化芸術支援に関する各省庁からの説明会。行ってもなんの収穫もないとわかっているけれど一応行く。そのことになんの意味があるのかはわからない。たぶん意味は限りなくない。強いて言うなら意味のないことが行われていることを確認しに行くのかもしれない。久しぶりの通勤ラッシュ。骨が折れる。

某男性映画監督の数多の性暴力が明るみになり、関連記事の一部を読んだけれど本当に酷いものだった。心から気持ちが悪いと思った。クズだと思った。心から軽蔑する。その当人が性被害に関する映画を撮って発表しようというのだから開いた口が塞がらない。終わってる。

歳上の友人の女性と性差別、性暴力について話した。それがいかに至るところにありそしてその根がどれだけ深いか。これらのことをわたしはまだ言葉にすることができない。でもしてみようとすることが、どこかのタイミングではきっと必要なのだろうということをさっき駅まで歩きながら考えた。言葉にするということはその事象を理解することだから。そしてそれをすることでしか受け入れることが出来ないと思うから。わたしはわたし自身のために、そしてわたしとよく似た誰かのために語らなくてはいけないし、そのための言葉を身につける必要がある。

様々な途方もない事実を前にもうほとんど絶望している。本当にこういうのって心が死んでいくのだ。

それでも、言葉を交わし合える存在が増えてきて、今日こんなことがあってこんな風に感じた、こんな風に考えている、ということを伝え合える友人たちがいることにとてもとても救われている。世の中を変えていくのはきっとそういう繋がりなのではないか、ということをぼんやりと思っている。

きのう、仕事の現場で起こっているハラスメントについてとある女性のツイートを見て、わたしはそれに対してどうしても伝えたいと思う想いがあり、でも全然うまくまとまらなくて、深夜まで時間をかけて書いた。こんなに一生懸命Twitterに書く言葉を考えたのは初めてかもしれない。わたしに何が出来るだろうか。辛い想いをしているひと、声をあげているひとをひとりにしてはいけないと思う。わたしの言葉がそういう誰かにもしかしたら届くかもしれない、届いてほしい、そう思って祈りを込めて書いた。

今日は3月11日。向き合わなくてはいけない事柄が多過ぎる。