2023.08.11 変換

きのう、何度か日記を書こうとしたけれど、その度にうまく書き進めることが出来ず、結局なにも書けなかった。頭の中にあることをそのまま書くということがうまく出来ないというのは不思議なことだ。大抵の場合は意識せずとも出来るのに、ときどき出来なくなる、それも不思議だ。この間、友人がライブに誘ってくれたので出掛けて行き、終演後挨拶だけしたらすぐ帰ろうと思っていたけれど、なかなか挨拶の順番が回ってこず(これはとてもよくあるというかいつものことだけれど)がやがやした地下のスペースで、別の友人やその友人と話していれば驚くほどに言葉が出てこずほとんどしどろもどろといってもいいほどで、後半は黙って相槌を打っていた。だからまあ、そういうときというのはあるのだ。その日わたしは写りたくもない写真に写り(二度ほど断ったけれど大勢に繰り返し誘われ仕方なく写った)翌日、フォローしてもされてもいないアカウントからタグ付けされた写真を見てみれば半目でひどく不細工に写っていた。やっぱりすぐに帰ればよかったのだ。

夏が過ぎている。雨が降ったり止んだりまた降ったりするので、わたしは窓を開けたり閉めたり、閉めそびれて床を濡らしたり、仕方なく冷房を付けたりしている。Netflixでシーズン1を観ていたドラマのシーズン2がリリースされたのでそれを一気に観たり、そうしてまたシーズン1も観返したり、異国日記の最終巻が発売になったので起き抜けに読み号泣したり、リディア・デイヴィスの話の終わりを少しずつ読んだり(あと数ページで読み終わる)週に一度のプールと週に一度のランニングを継続している。何度か眠れない夜があった。

また歌を録っていて、でもなんだかよくわからなくなってしまってこの数日は少し落ち込んだ気持ちになって、しかもどうやらめずらしく風邪をひいたようで、喉が痛く鼻もぐずぐずでこんなことではとても歌えないし、気晴らしに泳いだり走ったりというわけにもいかず仕方がないのできのうは気の済むまで歩こうと思い夜になってスニーカーを引っ掛けて出掛けていき、2時間ほどふらふらと、最初は川沿いのいつもの道を、途中から歩いたことのない道を当てどなくふらふらと歩き回りながら、いくつかのアルバムを聴き、歌やミックスについて考えイメージを作り直した。何度も何度もやり直したり、納得のいくまでやってみる、みたいなことはちっとも苦ではない。むしろ放っておいても勝手にいつまででもやっていると思う。自分をそういう性分だと思う。けれど作品を作りそれを発表するときには、その工程を自分一人で完結することは難しく、どうしたって他者とのコミュニケーションが必要になるのであり、相手が誰とかどうとかということに関わらず、わたしはどうやら他者とのコミュニケーションそのものを常に大変な負担に感じているそしてそれは根本的な怖れから来ているのではないか、ではそれはなぜなんだろうか、そういうことを考えた。

心が、本当に久しぶりあるいは初めてかもしれないと思うほど、内に内に向かっていて、そういえば春に向かっている頃はめずらしく外に外に向かっていたのだった、思い出した、そう思えばいまこうなっているのも自然なことなのかもしれない。と思うけれど、その春というのが今年のことだったか去年のことだったか、確信が持てない。今日はまだ声を出せないだろうから歌の練習が出来ない。そうすると途端に手持ち無沙汰で、わたしはまた巨大な空白と対峙することになる。ギターを、弾こうかな。今日も暑くなるのだろうか。なるのだろうな。