2025.07.07

週末からなんとなくバタバタが続いていたので今日は休みと決めて、何もしない日。スタジオの予約だけを取り、あとは余白。本を読んでは寝て、買いものに行っては寝て、調べものをしては寝て、よくこんなに眠れるなと思うけれど、細切れに寝て起きて寝て起きて、をしている。今日はまた断食。口寂しさは多少あるけれどお腹は全然空かない。この間コンビニで荷物を出すついでにアイスのコーナーを覗けばあずきバーがあったので買って食べながら家に帰った、あずきバーのなにが素晴らしいかといえば無添加で極シンプルな原材料のみ(砂糖、小豆、水飴、塩)で出来ているところで、そんなことを考えてみればあれこれ自分で作れるのではないかというかあんこを炊いて凍らせれば良いのではないかと気がついて、しかし最近は砂糖をなるべく使わないようにしているのでさっきスーパーで小豆と米麹を買ってきて発酵あんこなるものを作っているところ。いつかも作ったのだけどそのときは温度調整が上手くいかず失敗したのだよな。今日はどうかな。ちゃんと炊けたらココナッツミルクや豆腐と混ぜてアイスを作ろうという魂胆。

作りかけで中途半端なまま放置されている曲がいくつかあって、ふとしたとき自分の中に浮かび上がってくることがある。例えばきのうの夜お風呂上がりにストレッチをしているときなどに。曲を作ることに積極性を持てない理由を観察分析してみたところ、それはどうやら「それをしてどうなるのか」という気持ちが根底にあるようだった。わたしはあらゆる選択に関して時間や労力が無駄になることをひどく怖れていて、それというのはつまりコスパタイパ効率といった概念にすっかり毒されているということではないか、ということに最近はたと気がつきわりに戦慄したのだけれど、こと音楽についても同じように感じているのかもしれない。全然良いことだとは思わないけれど、でも、大変な想いをして時間も労力もお金もかけて自分のありったけを込めて作品を作りそれをリリースしたとて、べつになにがどうなることもない、ということを散々経験してきていることを思えばそういう思考に至るのもまあ無理もないというか、そりゃそうだよね、という気持ちにもなるのだった。まあ、気が向いたときに、やりたければやればいいのだ。それくらいの気軽さの方が良いように思う。思うに、目的とか結果とかそういうものが過大評価され過ぎているのではないか、そして過程や工程といったその手前あるいは間にあるものが蔑ろにされているのではないか。見通しとか、プランとかさ、順番を間違えてはいけない。なんにせよ大切なのは自分で選んで納得して決めて貫く、そういうことだね

誰かに会ってゆっくり話をしたいなーと思って何人かの顔が浮かぶけれど連絡をしない言い訳ばかり(忙しそうだしこの間会ったばかりだし、などなど)が先に立ってしまってなかなか。新幹線に乗ってさよこさんに会いに行くのは良い考えなのじゃないか、とさっき思ったけれど、連絡できるかはわからない。あとでしてみようか。

この間本屋さんで手に取った『ベル・ジャー』という小説がよかった、訳者の小澤身和子さんのプロフィールを読めば『ホット・ミルク』というタイトルがあり良いタイトルだなと思ってなんとなく調べてみると、あれこれはわたしが最近気になっていた映画の原作ではないのかと思いさらに調べてみたらやっぱりそうだった。セックスエデュケーションに出ていて好きになった役者さんが主演で、予告編を観て心惹かれていたのだった。そうしてそのホット・ミルクも購入して今日から読みはじめた。メルカリでいろんなものを売って売上が貯まっているので、メルカリで買ったらほとんど新品のような見た目なのにすごく強い洗剤なのかなんなのか、不思議な合成的な匂いがしてわたしはたじろいでいる。本にこれだけ強いにおいがつくなんて、部屋の中はどれほど強烈なのだろう、そんなこんなであっという間にスタジオの時間、今日って七夕なのだね。7月が過ぎている。