2025.07.29 ライクアローリングストーン

先週先々週となんとなくばたばたとしており、日曜日は休みの日ということにして一日家で思う存分だらだらと過ごし、夕方には久しぶりに長い散歩に出て川沿いをずーっと歩き、知らない道を通って家まで帰った。そういえばこの間夜走りに行ったら川の向こうに花火が上がっているのを見た。花火大会なんていうものに浴衣を着て出掛けるようなことが例えば今後人生のなかであり得るだろうかという考えが頭をよぎった、そのことを思い出した。この間のお休みはなんだかなにをしていいかわからず落ち着かなかったけれど、今回は上手にひとりで楽しく休めたのでほっとした。

家の外に出掛けて行ってひとに会うようなことが、それなりにあり、それは嬉しいことで、それがないとさみしいからありがたいのだけど、暑さのせいかとても疲れてしまう、体力がないなあと思うけれどでもそれって本当に体力の問題なのだろうか、とも思う、そしてその答えは分かりようもない、鉄分が不足していると疲れやすいというのを何かで見かけてそういうのってあるかもなと思ったけれど、鉄分を含む食品をわたしは比較的たくさん摂っているのでますますわからなくなり考えるのをやめた。

今日は久しぶりにプールに行こうと思い、先週もその前も行けなかったのでようやく行ける、と勇んで出掛けて行ったのにバスが待てど暮らせど来なくて、一切の日除のないバス停でけっこう粘ったけれど諦めて帰ってきてしまった、ちょうどバスの時間にバス停に着いたつもりだったけれど先に行ってしまっていたということなんだろうか、たぶんそうなんだろう、せっかく外に出たので預けっぱなしになっていたコートを受け取りにクリーニング屋さんに寄って家に帰ると着ていたTシャツはすっかり汗で濡れていた。

ただ日々が過ぎて、なにをしていてもしていなくても過ぎて、人生はなにもしないには長過ぎるがなにかをするには短過ぎるというのは誰の言葉だったか、こんなふうによくわからないままでも過ぎていってしまう、そのことに怖さも安堵も感じる。ただ流されるようなことは怖いけれど、でも流れに乗って流れてみることはきっと面白いんだろうな、とも思う、なんとなくあれこれを考えることも億劫で、ただ在る、というのは難しいね、久しぶりに素敵なワンピースを買ったけれどどれくらい着る機会があるだろうか、日中は暑過ぎてなかなか外にも出られないし、溢れかえるフジロックについてのあれこれをぼんやり横目に、特になんの感情も湧かないまま、夏が過ぎている

ホットミルクを読み終えてしまったのでつぎはなにを読もうかな