2025.07.31
きのうは昼過ぎから撮影。3テイクまで、と決めていたけれど1テイク目は機材トラブルがあったことを言い訳にカウントしないことにして、結局ぜんぶで4テイクを撮った。最後がいちばん良かったように思ったけれど、まだ勇気が湧いていなくて音を聴けていない。集中してそれだけを演奏したので終わったころにはすっかりくたくただったけれど監督をしてくれた友達と軽くごはんを食べて帰ろうということになり前から気になっていたスタジオの一階にある町中華に行き瓶ビールなどを飲み始めればお互いあっという間にスイッチが入り次々とハイボールを飲みあっという間に酔っ払ってしまったのだった。彼女は以前わたしが住んでいた川沿いの部屋によく酒を片手にやってきて、わたしはその度になにかしらの料理を作りそうして毎度遅くまで酒盛りをしていた。ゆっくり会うのはもうずいぶん久しぶりで、驚いたことに、顔が変わった、以前あれだけ抱えていた生きづらさがすっかり取れている、と、なにを話すよりも先に彼女はわたしに言ったのだった。よく見ているなあ見透かされているなあと思ってひどく感心した。そういう眼を持ったひとなのだ。すっかり忘れていたというかまったく覚えていなかったけれど、そういえば彼女が家に来たときにたびたびわたしは自分の自己肯定感の低さについて彼女に吐露していたような気がする、普段ひとにわざわざしないそうした話を彼女には気兼ねなくしていたのはなぜかと考えてみればたぶん彼女が全力でわたしを肯定し心からの好意と感心を持ってくれているからだろうという気がする。有り難いことだ、そういうふうに与えてもらう好意その他も素直にだいぶ受け入れられるようになってきた、のかもしれない、少なくともそうでありたいと、思っている。
チームで何かをする、作る、みたいなことも考えてみれば久しぶりのことだったけれど、信頼するひとたちが集まってくれてわたしは安心してのびのびとそして集中してやれた、そのことをとてもありがたいと思った。どんな形でもいいからこういうことを大切にして重ねていきたい、本当は。本当はというのは、すぐひとりになりたがってしまうから、という意味で。
そんなわけでわたしはすっかり酔っ払いふらふらになって帰宅し、かろうじて顔を洗い歯磨きをし布団に倒れ込むようにして眠った。今朝はだけど思ったよりも早く目覚めしかし瞼はぱんぱんでひどい有り様だった。上から下まで浮腫むのはなんとなく理解出来るけれど、瞼だけが腫れるというのはどういう理屈なのだろうと思った。
そうしてこの何ヶ月かずっと向かっていたものがひとまず終わったので午前中いっぱいくらいはのんびりしても許されるだろうと思ったけれど意外と早くに身体が動き出したので昼過ぎまでちまちま少し仕事をし、夕方前に映画を観に有楽町まで出た。観たい映画がやっている映画館のスケジュールを観たら他にも観たい映画があったので久しぶりの二本立て。夕方の回は空いていたけれど夜の方はほとんど満席で、わたしはひとの多い映画館に慣れていないのでなんだかむずむずした。最近買ったノースリーブのワンピースが着たくて、でもノースリーブはちょっと涼しいかな下にTシャツを着た方がいいかなとも思ったのだけどでも華奢なストラップの服の下にTシャツなどを合わせるのがあまり好きではなくて結局肩を出して出掛けたらやっぱり帰りは少し涼しかった。ずっと前に買って全然使わないからいつまでもある薄いピンクのリップをなんとなくつけてみれば良い色だけどやっぱりあまりしっくり来なくて、最近よくつけている濃いめのブラウンを上から重ねてみたら不思議な良い色になってにわかに心が踊った。こんなふうにおしゃれをしたいような気持ちになるのもやっぱり東京に帰ってきたからなのだろうね、環境の作用とその不思議を思う。
明日からは少し時間が出来るから、なにをしようかな。時間があるときにこそやれることやるべきことというのがあるよね、時間を大切にしたい気持ちと無駄にしたい気持ちと。それにしても今日はお風呂に入るのがひどく億劫で嫌だなあ嫌だなあと思いながらいまソファで