2024.12.22

書いて書いて、書いて書いて、書き続けたら、いつかもうなにも書くことはないと、思う日が、来るだろうか、

寒いな寒いなと思いながらストーブを焚かずにまた一枚の厚着をすることもせず足元のヒーターだけで誤魔化して一日を過ごしていればまんまと風邪をひき、きのうは一日のほとんどをベッドの中で過ごした。こちらに来てからよく体調を崩す。思うに環境の変化に適用出来ていないということなのかもしれない。今日はすっかり良くなり、しかし特になにもせず一日のんびり過ごした。少し買い物に出れば店はたいそう賑やかな様子で時間帯もあったのだろうけれどあぁ年末、と思ったのだった。溜まっていたフィルム(ちょうど10本)を現像に出した。フィルムのカメラを初めて買ってからずっと友達に教えてもらった店に現像に出していたのだけど年明けに閉店するということを今日知って、薄ぼんやりと悲しい気持ちになった、物事の終わりにのみ発生すること感情の名前について、そして実際問題今後の現像をどうしたら良いのだろうか困ったなぁと思いながら、ポストカードに簡単なお礼の言葉を添えた。

ただただ時間は流れて、砂のようにあるいは水のように、ただただ日々は過ぎて、雑踏のようにあるいは喧騒のように、そうして始まっては終わって、過ぎて、なくなって、忘れ去られて、だけど残るものはときどきあって、繋がっていくものもあって、このぜんぶはいったい全体なんだというのだろうね、例えばそんな中でただただ日々を生きて、そうして死んでいく、それだけでべつにまったくなんの問題もないじゃないかそれだけでよい、十分じゃないか、と頭では思う、しかしどうしてもそうではないそれでは足りない、というのなら、

本当は怖がるものなんてなにもひとつもないのにな、と最近はよく考える。

わからないことはわからないままで、いつか少しはわかることもあるんだろうか、どうなのだろうね、段々畑に伸びたすすきの穂の群れが午前と午後の間の光のなかで波打つように揺れて、その黄金色のひかりをいま、胸に、同じように揺らしている。