2025.08.22

最近ダラダラ仕事をするときにはNetflixのドラマを半分ラジオのようにして流しているのだけど、いまは部屋に祖母の古い扇風機がカタカタと首を振る音だけが響いている。数日前から上と下の階で申し合わせたように工事が始まり、それは驚くべき大きさの騒音と振動で、もうまったくどうにもならない、といった具合でなんかもう本当まいったなぁといった感じ。来週まで続くのらしい。仕方がないとわかっているけれどでも勘弁してほしい、ともやっぱり思う。今朝は野菜室にしばらく鎮座していた半分にカットされたかぼちゃをやっつけるべく丸ごと蒸して(引き継ぎ蒸し料理に傾倒している)半分はサラダに、半分はポタージュにした。サラダにはひよこ豆ときゅうりと茗荷と白胡麻。味付けは塩麹と味噌と酢。たくさん出来ちゃったなーと思ったけど味見をしたらおいしくて、出来たそばからぱくぱく食べたらもうすぐなくなりそう。パンケーキでも焼こうかと一瞬思ったけれどなんか億劫で、少し前に買っておいた好きなクラッカーをぽりぽり齧った、ソファのうえ。あまりなにもする気が出ない、しかしやることは割と片付いているからなにもしたくないのなら無理してやる必要もない

おとといの夜、久しぶりに会う友達と久しぶりにゆっくりごはんを食べ酒を飲んだ。彼女はわたしの一個か二個下で、なんかずっと妹みたいに思っているけれどでも当たり前に彼女だってすっかり大人になり、立派に仕事をし、結婚をし、今度家を買うのだそうだ。赤提灯の店のカウンターで魚の焼いたのなどをつつきながら安いハイボールをぐいぐい飲み、それから階段を登った先にあるワインバーへ行き曲線の美しい大きなグラスにはいった香り高い赤ワインを一杯ずつ飲んで、大人になってよかったね、死ななかったね、生きたね、と言って互いを讃え合った。時間というのは、流れるのだなあ、ね

どんなことも、痛みも喜びも、一瞬の煌めきも、なんもかも、過ぎてしまえば文字通りの過去なので。だったらなんもかも、べつに意味なんてないじゃないか、いやそんなことははじめからわかりきっているじゃないか、しかし現在というのは伸び続ける過去の連なりのそのいちばんこっちの端っこなのでそしていまわたしはわたしたちはいまそこに立っている立ち続けているので