2022.02.05

和歌山に来ている。火曜日に来たから今日でもう5日目。なにということもなく、ただすーっと流れるように時間が過ぎている。

羽田から朝7時半過ぎの便に乗り、予定より少し遅れて、でも9時には到着し、空港から2時間ほどバスに乗った。バスにはわたしともう一人若い男性が乗っているだけで、ほとんど貸し切りだった。わたしは後方窓際の席に座り、本でも読もうかと持ってきていた友部正人さんのエッセイ集を開いたけれど、すぐに窓の外に海が見えはじめたので途中からは窓を開けて、外の景色をぼーっと眺めながらバスに揺られていた。奄美空港から加計呂麻に渡る港に向かうバスもそういえば2時間くらいで、はじめて島に行ってバスに乗って、窓から島の景色を新鮮な不思議な気持ちで眺めていたことを思い出した。天気が良かったから窓を開けていてもちっとも寒くなく、頬や風を通り過ぎる風がとても気持ちよく、ただそれだけのことで心身の細胞がめきめきと息を吹き返すのがわかって、あぁそうだだから旅というものがときどき必要なのだ、と思った。

バスは予定より15分ほど早くバス停に到着したので、小さなキャリーバッグを引きながら少し周辺を散策し、といってもほとんどシャッターの閉まった商店街のアーケード(喫茶店ばかりがたくさんあった)をぐるっと一周して、駅前の小さなロータリーに面したお土産物屋さんのおばちゃんにうつぼを試食させてもらうなどして時間を潰した。そうして迎えに来てくれた姉のパートナーの車で一緒に山を登り、集落の一番はじっこ、一番てっぺんにある古い大きなこの平屋にやってきたのだった。

産まれてまだ二週間にならない姉の娘、つまりわたしの姪はそれはそれは小さく、本当に、小さく、この家で飼われている猫よりも小さかった。髪の毛がみっちりと生え、手足の指が細く長く、ときどき黒目がちの目を大きく見開き、こちらをじっと見る。とても、とても、とても可愛い。

姉はなんというか、当たり前に母になっており、その様子にわたしは新しく産まれた、ついこの間までは存在していなかったその小さな存在の不可思議さと同様になんとなく不思議な気持ちになったのだけれど、でもそれも数日もすればあっという間に慣れてしまい、わたしの姉はこの小さな小さな赤ん坊の母で、わたしはこの小さな小さな赤ん坊の叔母なのだった。

産まれるちょうど前日に先に来ていた母(わたしたちの母、姪にとっての祖母)と共に、赤ん坊の世話や家のことや、一緒にやりながら、夕方には姉のパートナーと連れ立って近くの温泉に出かけたり、穏やかに賑やかに、するすると流れていく時間を過ごしている。

PCは持ってきて、最低限のメールは返したり、すこーしだけ仕事もしたりしているけれど、ここにいるとやっぱりあまりそんなことをする気持ちにもならなくて、きのうはマジックアワーに海の見える露天風呂に浸かりながら、最高だなぁと思ったその瞬間に「ここでこんなことをしていていいのだろうか」という不安とか罪悪感といった類の気持ちが押し寄せてきて、そのことをとても怖いと思った。たまにはなにもせずぼーっとする時間を設けないと、そういう感覚って本当に、あっという間に忘れてしまう。

今日は朝から雪。とても晴れているのに。お天気雪というものをわたしは初めて見た。雪の粒たちは降るというよりふわふわくるくる綿毛のように風に舞っていて、それをみた姉が「スノードームみたい」と言った。

姉のパートナーは畑の世話をしに行き、母は散歩に出かけ、姉と姪は仲良く並んで静かに寝息を立てている。