2022.04.22
奄美の空港にはなにもないので、なるべくギリギリになるようにあちこち寄り道をしてレンタカーを返却し、ちょうどいい時間に空港に到着しチェックインをすればなんとフライトは1時間超の遅れ。遅延情報を事前に確認しようなんていう考えはまったくもって浮かばなかった。またひとつ勉強になった。1時間あればずいぶんドライブができたのに。もしくはジェラート屋さんに行けたのに。レンタカーを返す前にチェックインをしようかという考えが一瞬浮かんだのだよな。そうすればよかったな。まぁ仕方がない。もう行くべき場所には行ったし、やるべきことは済ませてきた。空港の二階でこれを書く。showmoreが明日奄美でライブらしく、今日入りだと言っていたから、もしpeachで来るなら空港で一瞬会えるかもしれない。
今回は三泊四日。いままでで一番短い滞在ではないかと思う。でも今回はていこばあの唄を録るという約束を果たすための旅だったからその意味では十分だった。加計呂麻ではレンタカーも借りずにずっと花富にいた。到着したその日は弘ニ兄が自分で作った野菜を簡単に調理した夕食をふるまってくれ、ふたりで飲みながら食べた。宿にはめずらしくたくさんお客さんが来ていて、彼らと少し話をし、順番に五右衛門風呂に入ってから就寝。
二日目は晴天。海も澄んでて最高思うわ、と言われ、シュノーケルとフィンを借りて朝一番で海に入る。去年島に帰ったとき久しぶりに泳いだらちっとも潜れなくなっており軽いショックを受けたけれど、ゆっくり思い出しながら頭を使って潜ったらすーっと海に入って行けた。花富はこれまで何度も行っている集落(わたしが働き暮らしていた集落の隣にある)だけれど、海に入るのは初めてだった。珊瑚はそれほど多くなかったけれど、とてもたくさんの種類の魚がいた。白に黒斑のとても大きな角ばった魚がいて、弘ニ兄に言うと「ハコフグやわ」と言っていた。途中海面に顔を上げると、買ったばかりのゴムボートでわたしの食事を釣ると張り切って釣りに出掛けていった弘ニ兄の姿が遠くに見えた。わたしは小一時間ほどだろうか、気の済むまで泳ぎ、すっかりくたびれて宿に戻って少し昼寝。いいかげん自分用のフィンとシュノーケルを買おうかなと思った。
宿に泊まっていた他のお客さんは昼には帰って行ったので、午後からていこばあを呼んで弘ニ兄と三人で録音。弘ニ兄はていこにはちゃんと伝えた、と言っていたけど、ていこねえはなんとなくは聞いていたけど具体的な日にちは聞いていなかったと言い、園さんは弘ニ兄は全然練習してないよ、と言い、案の定弘ニ兄はていこねえにも練習不足だと叱られていた。その場で歌う曲や順番を相談し、何テイクか。ていこねえは「間違えたわ」と言っていたけれど、ふたりして「まぁ誰もわからん」と言って笑っていたのでOKテイクということになった。最後の六調という節が変わるところからは弘ニ兄が歌い、ていこねえが太鼓を叩くということにして翌日に持ち越すことになった。
録音を終えていい天気だしひと仕事終えたし、と思って堤防の上に座ってビールを飲んでいるとていこねえが家からひょいっと顔を出して、「ビール飲む?」と言って、亡くなった「お父さんが好きだったから」と言ってキリンのグリーンラベルとおつまみのおせんべいを持ってきてくれた。ふたりで堤防に座ってしばらくお喋りをした。ていこねえは物腰がやわらかく上品で、とてもかわいい。ていこねえと話すのは楽しい。花富の八月唄は本当にていこねえでどうやら終わりになってしまうようだった。弘ニ兄が覚えると言っていたけれどどうだろうか。わたしが覚えたっていいけれど、わたしが覚えたとてどうしようもないという気がしてしまう。だからせめてそれを録っておくというのがわたしにできる精一杯かなと思うのだけど、正解はわからない。
夜はえっこちゃんと息子のりた、友達のあやかちゃんという子が来て、弘ニ兄と園さんが宿の窯で焼いてくれたピザをみんなで。園さんが生地から作ってくれるピザはいつもとても美味しい。お腹いっぱい食べた。りたは産まれたときからとても大きな子どもだったけれど、さらに大きくなっておりまだ一歳半なのに三歳くらいに見えた。ぐずりもせず窯の火にちょっかいを出したり、ピザに乗った桑の実だけを上手に拾って食べるなどしていた。えっこちゃんは相変わらず元気そうでよく話し、よく笑っていた。宿に泊まるのはわたしだけだったからひとりで五右衛門風呂を独占し、ゆっくり入った。星が見えると最高なのだけど、空には雲がかかっていた。
三日目は午後から天気が崩れる予報だったから午前中にぱっと残りの録音。ふたりの話し声もなんとなく録っておく。あっという間に済んで、わたしは暇だったから散歩に出かける。山道をずーっと登っていくと見晴らしの良い開けたスポットがあり、車では何度も行っていたけれど、弘ニ兄が「一生懸命歩いて40分」「ちゃらちゃらしてたら1時間やな」と言っていたので1時間を覚悟して、それでも割と真面目に淡々と歩いて行けばきっかり40分で到着した。冷んやりした気候だったけれど額にうっすら汗をかいた。歩いて到着するときの達成感みたいなものをとても久しぶりに味わって、なるほど登山をするひとの気持ちが少しわかったような気持ちになり、登山もいいなと思い、でも靴とか服とか、いろいろ揃えようと思ったらきっとけっこう大変なのだろうな、と思うなど。帰りは下りで30分ほどであっという間に集落に戻った。
そのまま浜に出て、歩いたことのない端っこの方を散策。足元を見ると真っ白の丸っこいかわいい石ころが転がっていて、ちょうど前の夜にさよこさんから連絡が来てやり取りをしていたからかさよこさんのことを思い出して写真を撮って「さよこさん石いりますか?」とメッセージを送った。さよこさんは拾ってきた石ころに絵を描くワークショップをやっている。わたしも鳥を描いてもらったのを玄関に飾っている。返事を待たずにわたしは石ころを拾いはじめ、なるべく白くて凹凸が少なく丸っこい、大小様々のそれら(もしかしたら石ではなく珊瑚なのかもしれなかった)を拾い、両手に持ちきれなくなってポケットに詰めていると雨が降り始めて慌てて宿に戻った。夜は弘ニ兄が天ぷらをしてくれて、早い時間からちびちびやった。花富に来るといつもずっと飲んでる。弘ニ兄が漬けた大根がとても美味しかった。あとヨモギの天ぷら。加計呂麻の塩でいただいた。さよこさんからは夜になって「ぜひ!」と返事が来た。
今朝は9時半前の船に乗るつもりで、ゆっくり一緒にコーヒーを飲んで9時頃宿を出ようと話していたので、荷造りなどは朝起きてからすればいいとあまり片付けずに布団に入って7時頃目を覚まし布団で少しうだうだしているとそとから「おはよう」と弘ニ兄の声がするので起き出して出ていくと、9時代の船はいつも満員で乗れないことが多いから8時過ぎのに乗った方がいい思うわ、7時40分頃に出よう、というのでコーヒーも園さんやていこねえとの別れの挨拶もすべてお預けになり、慌てて荷物をまとめて出発。園さんの娘のさやかが学校に行く途中だったので、トラックの荷台に乗せて学校手間で降ろす。8時台の船はだけど余裕があり、9時台のでも大丈夫だったんじゃないかと思った。けれど。
港近くのお土産屋さんで加計呂麻の黒糖と塩を自分用とお土産用にいくつかピックアップし、レンタカーに乗り込む。9時前。フライトは13時30分。空港までは2時間もあれば十分だから時間はたっぷりあった。どこか寄りたいところはあるだろうかとあれこれ考えを巡らせたけれどなにも思い浮かばず、とりあえず空港方面に車を走らせた。奄美の道路はだいたい広くそして空いているのでいつもついつい飛ばしてしまうのだけど、今日は割とずっと前後に車がいたこともあり、時間もあるし、と思ってゆっくりゆっくり走った。海さえ見られずに出てきてしまったので帰る前にどこでもいいから浜に降りたいと思い、港近くと空港近くでそれぞれ一回ずつ寄り道をして少し海を眺めた。それでも頭の中にはあれこれが渦巻いており、時間はたっぷりあるとわかっているのになんとなく忙しないような心持ちで、ただただのんびりするというそれだけのことがどんなに難しいことかという、初めて島に来たときに思い知ったことを久しぶりに改めて思い知る。東京にいるとそのことに気づく機会さえないのだ。
途中好きなパン屋さんに寄ってパンとコーヒーを買って、テラスで食べた。朝昼ごはん。サンドイッチが食べたかったけれど、サンドイッチはなかった。いやあったけれど肉のものはかりだったから、マルゲリータのフォカッチャとシナモンロールとブルーベリーとラズベリーの乗ったカスタードデニッシュ。
奄美に来るといつもすぐに加計呂麻に行ってしまうから奄美大島のことをわたしは相変わらずあまりよく知らなくて、いつももう少し知りたいなと思うけれど、でもいつもやっぱり加計呂麻にまっすぐ行ってしまってそれで満足してしまうからやっぱりずっと知らないままなのだった。空港近くの浜に出て海を見ながら次は誰か友達と来たいなと思った。あちこちドライブして、ベタな観光みたいなこともしてみたい。
わたしはペーパードライバーだから決して運転は上手ではないけれど、奄美のような広くて空いている道路を走るのはとても好きで、車を走らせているとだんだん思考が遠くなっていって頭が真っ白になる。その感じは料理をしているときに似ているなと今日思った。だから運転も料理も好きなのだ。島にいるときも用もなくあちこちに車を走らせていた。
フライトまであと1時間。旅にはいつも本を持ってくるけれど、いつもほとんど読まない。今回も例に漏れずだったけれど、そろそろ出番なのかもしれない。あっという間に東京に帰ってしまうのだわ。そろそろいいかげんに働きまい。というのは島の方言。