2022.10.02 おまじない

すっかり秋、と思っていれば今朝はまた夏のような日差し、でも今日は風が秋だわ、と一歩部屋を出た瞬間に思った。

きのうは地元の友人がはるばる我が家まで。夕方早めに約束をしていれば用事が早く済んだとかで15時にやってきた。家になにもなかったので、久しぶりに頼んだ無農薬野菜セットをピックアップし、駅の向こう側の八百屋に行って追加で少し買い物をし、駅で待ち合わせて一緒に家までの道を歩いた。彼女はしきりに風が気持ちいいと言い、多摩川に架かる橋を渡りながら気持ちいいねとまた言い、部屋に着くと外が見えて風が通って気持ちいいねとまた言った。
わたしは今月が部屋の更新でいまの部屋に住み始めてちょうど2年になるけれど、いつもわたしが彼女の家に出掛けていくばかりで、彼女がこの部屋に来るのは初めてのことだった。

この間友達の店で買ってきたリースリングを早々に開けて飲み始め、わたしは我ながら何とも手際よく、彼女と向かい合って座って飲み話しながら合間あいまに料理をした。野菜セットに大葉と大きな茄子が入っていたので、大葉と茗荷をたっぷり刻んで入れたポテトサラダ、それから簡単ににんじんのラペと、茄子のトマトグラタン。グラタンをすると決めていたのにチーズを買い忘れていて、ホワイトソースとパン粉だけで焼いたけれどそれでも十分美味しくて、彼女は美味しいおいしいと食べてくれた。ワインと一緒に買ってきたチーズ、何だかとても良さそうなコピーが書かれたフロマージュブラン、フロマージュブランてどんなだっけと思って買ったのだけれど、癖がなくとてもなんというかフレッシュであっさりさっぱり爽やかな味わいだった。こちらもクラッカーを買い忘れたので食パンを一枚焼いて小さく切って添えた。

ふたりでゆっくりこんな風にお酒を飲むのはわりに久しぶりなことで、リースリングを開けたあとは内祝いに弟が送ってくれたカベルネを開けて、わたしたちはそれを時間をかけて空にし、最後は彼女がお土産に買ってきてくれた梨を剥き、あたたかいお茶を淹れて、気づけば23時だった。

わたしは彼女といてとてもよく喋るようになったなと思う。彼女は放っておいてもひとりでずっと喋っているようなひとなので、9割彼女が話しわたしは1割、みたいな時期もあって喋り続ける彼女を不思議な心持ちで眺めていたこともあったけれど、きのうはたぶんちょうど半分半分くらいだったように思う。わたしは長らく自分の悲しい苦しい寂しい辛いといった感情をどのように外側に出したら良いのかわからず、でもそれらが自分を構成する成分のほとんどを占めていた、だからわたしは長いこと口数の少ない人間であったと思うのだけど、だんだん、そういうことも話せるようになって、そうしてそれを当たり前に受け入れてくれるひとがいることの文字通り「有り難さ」を最近はひしひしと身に染みて感じている。

彼女とは小学校の頃から一緒で、実際に仲良く遊ぶようになったのは中学に入ってからだからその頃から数えても20年以上の付き合いになる。彼女はわりと派手というか、いま風の、分かりやすく言えば(わたしからすれば)ちょっとギャルっぽい風貌で、大人になってから出逢っていたらわたしたちはいまのように友達になれただろうかときのうはそんなことを考えたりもした。積み重ねてきた時間の、その大きさ。お互いに、お互いのたくさんのときをとても近い距離でみてきた、その積み重ねのかけがえのなさ。

終わりのころになって、彼女は「大好きよ」「愛してるよ」「産まれてきてくれてありがとう」と毎晩彼女の小さな子どもに抱きしめながら言っているその言葉を、この間自分にも同じようにかけ自分で自分を抱きしめてみたら涙が出た、思うだけじゃなくて実際に声に出して自分に言うのが大事だ、ということを話してくれ、そうしてわたしたちは駅までの道をまた気持ちがいいねと言いながら歩き、改札の前で「大好きよ愛してるよ産まれてきてくれてありがとう」と言い合いながらハグをして別れた。彼女の姿がエスカレーターに消えていったあと、スーパーでハーゲンダッツのクリスピーサンド(迷ったけれどマカダミアナッツ味)を買って、それを齧りながら、サイズが大きくて歩きにくい玄関のつっかけサンダルをずるずる引き摺るようにして橋を渡って、あぁわたしはいまちっとも寂しい気持ちじゃないなと思いながら家まで帰った。