2023.01.31 出来事たちを羅列する試み

家からほとんど出ず、誰とも合わない日がすっかり多くなったわたしにとって、おおよそ一ヶ月分といっていいくらいのコミュニケーションと情報量のあった二日間であった。

いつもそうなのだけれど、たくさんの出来事がわーっとあると、それぞれについて順序立てて書くというのがどうにもわたしにとっては難しく、おそらく無意識に全体のバランスみたいなことを考えてしまうためにそれぞれの出来事についてどれくらいの詳細さでどれくらい書いたらいいのかわからなくなってしまって、それぞれの細部について頭の中にとてもはっきりとあるのに、それをしっくりくる形でまとめることができないのだった。

1月29日(日)

・渋谷ヒカリエでme and youさんに呼んでもらって「ホームパーティ」に参加。me and youのまきさんゆめさんと、哲学研究者の永井玲衣さんと1時間半のトーク。とても素敵な良い時間に呼んでいただいてありがとうございました、という気持ち。メモを取りながら熱心に聴いてくれている方が何人もいらっしゃったのがとても印象的だった。こういう方たちに対して自分が差し出せるものというのはいったいなにがあるんだろうか、ということを思う。

・小学校からの友人がパートナーとふたりで来てくれる。彼は対話の会を月に一度開催していて、ちょうど連絡を取っていたこともあり誘ってみたら来てくれた。トークが終わったあと永井さんに紹介する。

・友人のカナイフユキさんも今回のイベントのビジュアルを担当していたり他の企画に関わったりしていて、たまたま渋谷で用があったらしく顔を出してくれる。次の用事までに急いでごはんを食べるというのでわたしも解散になったあと合流させてもらって、フユキさんはなにか定食のようになっているセットのものを食べて、わたしはマンゴープリンを食べた。

・永井さんが仕事中いつもわたしの曲を聴いてくれているそうで、わたしは心の底から驚いて、そして本当に嬉しかった、いまもとても嬉しい。こういう場に限らず、近しいひと以外のひとに合う場合、相手は自分のことをほとんど認識しておらず気にも留めていないだろうという前提で出掛けていくので、こういうことがあると本当にびっくりしてしまう、でもそういうのもなんかもうちょっと変えていった方がいいのだろうな、きっと、と思う週末。会場にいつもラジオやSNSで見かける音楽関係の方の姿があり、壇上からすぐに気がついて終演後もロビーですれ違ったのだけど、相手がわたしを認識するはずもないだろうと思い迷ったけれどご挨拶しなかった、でもあとで考えてみればわたしはその方と一度オンラインの番組でご一緒したことがあり、そのほかのことでも間接的にお世話になっていたのだった、やっぱり勇気を出して挨拶すべきだった、自分を小さく見積もることはなにも得をしないなと改めて。そして相手にもきっと失礼だったなと思って反省。永井さんの『水中の哲学者たち』が素晴らしくて、どきどきしながら読み進めている。遠くないうちにまたお会いできたらいいなと思う。

・オンラインでもオフラインでも「トーク」という場に出ていったあとはほとんど必ずあぁあの話をすればよかった、あぁぜんぜんうまくまとめられなかった、あれで良かったのだろうか、大丈夫だっただろうか、と思う。今回も例に漏れず。最後に質問をくださった女性がいて、彼女の問いにわたしはちっともうまく答えられなくて、でも永井さんがびしっと、「(あなたをわかってくれる)場所は必ずあります」「作ります」「作りましょう」と言ってくれて、言い切ってくれて、あぁ永井さん、永井さんいてくれてよかった、と思った。2022年の出来事を振り返る、こころとからだ、ジェンダー・セクシュアリティ、というのが大きなテーマで、わたしは全然明るい出来事が思い浮かばなくて憤りとか絶望とかそういうものばかりを持っていってしまったけれど、もっと頑張って希望になるようなものをほんのちょっとでもいいから、探して持って行けたらよかったな、とも思う。

・弟が実家に帰ってきていて会いたかったのでこの日は実家に変える。しかし帰ると父しかおらず、父と二人で食事をしていると母が帰宅し、弟は埼玉の友人宅まで出掛けていたらしく遅くに帰ってきた。ちょうどお客さんがあった直後だったららしく母お手製のおいなりさんやわたしの好きなかぼちゃのサラダなどがたくさん冷蔵庫に残っておりおこぼれに預かった。それにしても実家という場所にはいつも必ずさまざまのお菓子の類が常備されているのであり、わたしはふくふくになってしまう、たった一晩でも。

1月30日(月)

・最近引っ越した地元の友人夫妻宅まで。一緒にお昼を食べる約束をしていたのでお土産にケーキでもと思ってケーキ屋さんを経由していけば美味しそうなキッシュが売っていて、わたしはキッシュが大好きだし、お昼ならこっちの方がいいかなと思い3つ買っていく。古い戸建ての家をほとんどDIYでリノベーションして自宅兼仕事場にしていて、わかってはいたけれどとても素敵なふたりらしい空間に仕上がっていて、とても和やかに楽しくそしてたいそう有意義な時間を過ごした。たくさんさまざまの話をして、わたしは彼らの前ではほとんど気負うことがないのですいすい言葉が口をついて出てきて、なんだか自分が少しだけ良いものになったような気持ちがして、あぁ人生の中でこういう時間を増やしていけたらいいのかもしれない、と思った。わたしの家にはなさそうな本がたくさんあった。次は夜に、お酒を飲もうと話してお暇。

・出不精なので外に出るときにはなるべく用事をまとめてあれこれ詰め込むきらいがある。その後別の友人宅へ。年末に出産をして、いまちょうと一ヶ月になる新生児となりたてほやほやの母に会いに。ついこの間まで姉の子どもだって弟の子どもだって同じように小さかったはずなのに、やっぱりどうしてもどうみてもそれはそれは小さくて、びっくりするほど小さくて、愛おしくて、奇跡で、泣き出しそうだった。無痛分娩の安産で、友人も元気そうだった。夫の実家から大量に送られきた上に夫がさらに買ってきたために食べきれないといっていろいろな野菜をお裾分けしてもらう。

・川崎まで戻って弟とスラムダンクを観る。スラムダンク、観たいと思いながらなんとなくひとりで観る気にならず誘ってみれば空いてるよと言うので連れ立って。日頃ミニシアターと呼ばれる劇場に行くことがほとんどなので久しぶりに大きな映画館で映画を観た。スラムダンクの映画は予想の50倍くらい素晴らしく、わたしと弟はふたりして声に出して笑ったりガッツポーズしたり身を屈めたり唸ったりしながら手に汗握って号泣して、そんなふうにして2時間半をみっちり楽しんだ。がらがらの大きな映画館でよかった。最後はふたりで拍手した。めっちゃよかったね、まじよかったね、すごいね、みてよかったね、と何度も言い合った。そうしてわたしは自分の家に帰るつもりだったけれど、ふたりで軽く食事をしていればすっかり話し込んでしまって(スラムダンクの話ではなく)、そしてそれはわたしたちにとって大切な話で話し足りなくなったので結局実家にもう一泊することにして一緒に電車に乗って帰った。そうして遅くまでちびちびと話をした。

今日

久しぶりに早起きをして朝一番で帰宅。電車が混んでいたら嫌だなあと思ったけれどそうでもなかった。ぼんやりした頭でなんとなく仕事をして、ぬぼーっとした一日。あっという間に夜。レコーディングに向けてのあれこれを、これからやる。細々したことがばらばらとあって、なにからどんなふうにやるのがいいのか、ぬぼー。友達がインスタグラムのストーリーにあげていたプレイリストを聴いている。SpotifyからApple Musicに移行したらなんだかとても使いづらくて、いまいち聴きたい音楽が聴けない感じがしていてSpotifyに戻ろうか葛藤している。

箇条書きは、悪くないかもな、と思うけれども、でもやっぱり書きたいことがぜんぶ書けたかと言えばちっともそんな風には思えない、でもしかし書きたいことがぜんぶ書けたことなんて果たしてこれまでにあっただろうか、はて。

そんなこんな、一月の終わり。来月からいよいよレコーディングがはじまる。そのことを思うと胸のあたりが内側からぶわーっとひろがりふくらむ。