2023.04.11 春にのみ込まれるようにして

春があまりにも気持ちよく地に足がつかない、ふわふわしている、穏やか、一方で心の一部がなんとなくざわざわしてもおり、このうっすらとした混乱はなんだろうかと観察している。だいたいのことを季節や気候や天気のせいにしてしまいたい。ある意味ではそうだろうと思うけれど、ぜんぶなのかと言われると自信がない。

目の前で起こっているさまざまな出来事や出会ったりすれ違ったりたまたま見かけたりした人々に対して、いちいちなにかを思ったり考えたり場合によっては何かしらのジャッジを下してしまったりということをほとんど条件反射的に日々行なっているわけだけれど、でもべつになにも思わずなにも考えずなにも判断せずただそれをぼーっと眺めそのままにして置いておいたっていいじゃないか、というかその方が本来的なのではないか、というのがきのうの夜から考えていること。理由とか意味とかないほうが本当はいい、みたいなことを折りに触れて思ってきたけれど、いっつも忘れてしまう。でも意味も理由も多くの場合においては後付けだったりするよね。十代の終わりに仏教の「空」という考え方に出逢ったときいたく感動したことを思い出した。すべては無色透明である。

おとといあまりの天気の良さに誘われ薄着でふらふらと出掛けていけば予想通り帰りはすっかり寒くて、そのせいかきのうはなんとなく体調が優れずああやってしまったと思いながらずるずると早い時間にベッドに入れば今日は何事もなかったかのように通常運転。身体よありがとう。ここ数日はなんだか急に寝起きが良く、すっと起き出してはじっくりヨガやストレッチをし、久しぶりに瞑想もし、なんだか調子が良さそう。レコーディングもひとまず終わったのでその先の作業を少しずつやりながら、リリースに向けて文章を書いてみたり、あとはまた少しずつ日常の音楽に戻ってあてもなく色々な曲を弾いたり、新しい曲も少しずつ作りたいなという気持ちでいろんな言葉をノートに書いたりして過ごしている。書きたいことはたくさんある。言葉の鮮度や想いの鮮度について考えるけれど、そのときを過ぎてもずっと残っている想いやふとしたときにまた顔を出す想いもあるなあ。

良い風が吹いているので、シャワーを浴びたあとの短い髪がみるみる乾いている。髪の毛短いのが気に入っているけれどまた伸ばそうかなという気持ちもときどき湧いてくる。迷う。意味も理由もやっぱりべつになくていい、というかそもそももとよりそんなものはないのだよな。