2025.04.01 虚像の四月、いったりきたり

画面に溢れる表情も景色もそのほとんどは虚像で虚構だと、あなたは薄っすらとした嫌悪と軽蔑を含んだまなざしで嘲笑する、しかし、とあなたは思う、多かれ少なかれ演じているのだ、わたしたちは誰だって、結局程度の問題なのだ、そして本当のほんとうなんて結局のところ誰にもわかりはしないのだ、おそらく当人にすら、

沖縄から帰ると、灰色だった景色がたしかに新緑に変わっており出掛ける前に満開だった木蓮はあっという間に見る影もなくかわりに桜がそこここにこんもりと咲いている、あぁもう季節が移り変わったのだ、しかしそうかと思えば寒が戻りわたしは慌てて真冬の装備。冬の間中足元につけていたヒーターをつい数日前ひとに譲ってしまった。だけどこんなことをいっている間にきっと春は春ともわからないうちに過ぎ暑さに喘ぐ日々がくるのだ。そのころわたしはどこでなにをしているのか

べつに誰になにを言われるでもなく、決まりも罰則もなにもない、なにも問題はない、これでいいのだ大丈夫と思う、思おうとする、しかしでも、と奥のほうからしつこく声がする、この一連のぜんぶはいったいなんだろう、ひとり相撲永遠の、うるさいなあ本当にうるさいよ、もう放っておいてほしいよ

映画を観ては映画に惹かれ文学を読めば文学に惹かれ、つまるところわたしはなにかをつくっていたいのだたぶん、「一度創作することを知ってしまった人は、それなしに生きているだけで何かを僅かずつ喪失してしまうんだよ」と書いたのは金原ひとみだけれどどの小説だったかとさっきから思い出そうとしているがまったくだめ、というか彼女はあまりに多作過ぎる

今日はブラウニーかブルーベリーのクランブルケーキを焼こうと思っていたのにまったくその気力が湧かず、かろうじてコーヒーを淹れ、週末に作った玉ねぎのマフィンの残りを食べた。寒さのせいだ。だけどどちらかというとぎゅっとした焼き菓子よりふわふわしたスポンジとクリームの生菓子が食べたいなと思う、しかし買いにわざわざ出掛けていくのは非常におっくう、もう随分前にアルバイトをしていた飲食店でキッチンのひとが「焼き菓子」「生菓子」という言葉をつかった、わたしはなぜかそのときそれらの言葉がちっともピンと来ずなんのことかわからなかった、そしてそれは一般的に使われている言葉でない、料理をするひとたちのつかう言葉だと言い張った。あの店では何年働いたのだったか、やめるとき盛大な送別会をしてくれて、マネージャーがこんなにひとが集まるなんてお前は好かれている、とわたしに言った、そしてそういうことはその後にもあった、だけどわたしはいつも自覚も実感もない、ずっと、与えられている愛に気づけないなんてなんて不幸な性だろうか

あなたの前では気高く美しくありたいと思う、それがたとえば虚像であっても