2025.07.02
もう夕方6時半だというのに空が明るくて4時半、5時かなーと身体が言っている。とても久しぶりに今日、家に帰った。カレンダーを見直してみればちょうど10日間留守にしていたということらしい。都議選の投票と、あとは姉と姉の子どもがしばらく上京していたのでわたしも一緒に実家で過ごしていたのだった。しかしその間も千葉の遠くまで仕事に行ったり、もちろん家でも仕事をしたり、家族の用事で出掛けたり、弟の結婚式があったり、慌ただしく賑やかな日々であった。姉たちはきのう帰って行き、わたしは空港まで見送りに行ったあと千葉まで仕事に行き、今日の昼間に家にたどり着いた。仮住まいのこの部屋だけれど、それでもやっぱり帰ってくると家に帰ってきた、という気持ちがする、これは確かに安心、安らぎ、そういう類の感情であるように思う、不思議なことだ。
留守にする前ぼんやりしていてうっかりいろいろ野菜を買ってしまったので小分けにして冷凍庫に入れていた、それらをレンズ豆と一緒に低い温度でじっくり蒸して、塩麹とガラムマサラ(地元にあるネパール料理屋さんの、何日か前家族で出掛けたら知り合いに会った)それから黒胡椒をして食べたらとても美味しくてたいそう満足した。蒸し野菜を使っていろいろの料理やデザートを作っているひとのアカウントを見かけてそれはけっこう目から鱗の方法というか発想で、まだ全然試せていないのだけど、そんなわけで最近は蒸すという調理法に興味があるのだった。
都議選も終わってさまざまなニュースがつづく中、間もなく参院選。どうなることやら。どうなるのだろうね、わたしは、わたしは相変わらず言葉を紡ぐことへのエネルギーが湧かないままで、なんだかな、どうしたものか、これというのは結局のところ当事者意識が薄れているみたいなことなんだろうか?だとしたら嫌だな、
実家で姉が唐突に父の本棚からブッダ全巻を持ってきて読んでいたのでわたしも一緒になって読んだ。途中までしか読めなかったから残りを借りて帰ってくればよかったなーと思いながらソファでこれ以上ないほどだらけた姿勢で中途半端に借りてきた2冊を読む。
lighthouseのニュースレター、わたしが言語化する気力の湧かないことを言語化してくれており(こういう言い方もなんだか烏滸がましくてどうかと思うけれど)何度か読んだ、言葉にするというのは本当にエネルギーが必要な行いだと思う、いまはそれが出来ないからせめてシェア。