2025.07.13
おはよう。めずらしく朝に日記を書く。
目覚めてジャーナリングをして、ヨガとストレッチ、少し冥想、それから洗濯と鍋にラタトゥユを仕込み火にかける、ここまでで9時。早起きをすると一日が長い。いつも眠る前はベッドの中で本を読むのだけど、一週間活字を読まない期間になっている(ついでにデジタルデトックスもしている)のできのうの夜はかわりに冥想をしてみたらそのせいかはわからないけどとてもよく眠れたような気がする。
月末に某撮影があり、そのためにスタジオでせっせと練習をしているけれどなんだかエフェクターの調子があまり良くなく、エフェクターというのは原因を突き止めるだけでも(エフェクターそのものの不具合なのか、ケーブルなのか電源なのか)ひと苦労なのでそれをやらなくてはいけないのだけれどなかなかやる気がせずとりあえず日記を書いている。思うに、やり慣れていないことってやっぱり億劫に感じてなかなか気が進まないのだよな。だからどんなことでも習慣化してしまえばスムーズ、こっちのもんだ、というのはまったく理に叶っているね
これまでにないほどに間延びした6月前半、なんだか慌ただしく賑やかだった6月後半、そうしてようやくリズムを掴み日々を重ねる7月前半、が間もなく終わろうとしている。今月はこんな感じなのだろうな、日々のやるべきことをやって、月末の撮影をびしっとしっかり決めて、そうしたら終わり。でも9月以降のことをそろそろ決めなくてはいけない、つまり、次の場所、次の行動の目処をそろそろつけなくてはいけないのだけど、まだピンときておらず、もう少し時間をとって向き合わなくてはいけない。考えていても仕方がない、答えというのはいつだって思考のなかにはなく、行動のなかにしかない、と、そういうふうに思っている。
和歌山にいる間はほとんど家におり、家にいるときというのはとりあえず楽ちんで快適であればよかったので、いわゆる部屋着しか着ておらず、ときどき出掛けるにしてもひとつのシーズンに対して一着あれば十分だったし、持っていた洋服のほとんどはこの間の引越しで手放してしまったので、いま着る服が本当になくて困り果てている。買えばいいんだけど、そうなんだけど、買うにしたって素材とかどういうふうに作られているかとか、そういうことを気にし始めるとTシャツひとつ選ぶにしたって本当に大変なことで、着るものないなぁ困ったなぁと思いながらあるものをとりあえず着てごまかしごまかし過ごしている。着るものでも食べるものでもなんでも、ことものを選ぶという行為に関してついてまわるこういういちいちを煩わしいとは思わないけれどなんていうか、複雑だな、とは思う。もっとシンプルで良いはずなんではないか?
立ち上がって鍋の様子を見にいけば、中の野菜たちはすっかりくたくたになっている、いつもはじめにオイルで炒めてそのまま煮込むのだけど、最近は油をあまり摂りたい気持ちでないのとストウブ鍋の調子が良いので今日は油なしでやってみた、ぜんぜん大丈夫だった、いい感じ。この間トマトを丸ごと蒸してトマトソースにしてパスタを食べたらとてもおいしかったので、今日もカットせずにヘタだけとって丸ごと放り込み(というか他の野菜たちの上にそっと乗っけて)火が通ったところで鍋のなかでヘラで崩す、ということをやってみた、味付けは塩でなく塩麹。生活が変わるとレシピも変わる、というのは興味深いね。生活生活生活。
この数日はひとと会ったり外に出たりしたのでそんなことも書くかと思ったけれどまったく出てこないまま、書くことへの満足を得た、家にとつぜん祖母が来たり母が来たり、外で久しぶりに友達と酒を飲み翌日ぜんぜん起きられなかったり、朝いちプールに行ってみたらまだ空いていなくて驚くほど長い列に並んで呆けたり、なんかそんな一週間だった。今日は人手が足りないという以前働いていた店の手伝い。誰かくるかな