2025.07.15
窓の外から掃除機の音が聴こえる。やたらに大きい。どんな掃除機を使えばこんなに大きな音がするのだろう、少し前にも同じくらい大きな音が聴こえていた、同じ家だろうか、違う家だろうか、もしも違う家ならばこんなに大きな音のする掃除機を使っている家がいくつもあるということになってしまう
この間、佐野洋子の新刊出版記念のトークイベントに江國香織が出るというので、トークイベントなんてたぶんほとんど初めてだったけれどチケットを買って行ってきた。佐野洋子の息子さん(名前を忘れてしまった、彼は確か画家なのだった)との対談で、出版社のひとが進行役を務めていたけれどお世辞にも上手な進行とはいえず話が何度もつっかえて途切れ途切れになっていて、こんなことってあるのだなぁとぼんやり思った。
わたしは佐野洋子の『わたしの猫たち許してほしい』というエッセイ集が大好きで(そういえば最近読んでいない)、彼女のエッセイを読んでいると、こんなことも書くのか、と思うほど、自分自身や身内など身近なひとのエピソードが開けっぴろげに書かれていて初めて読んだときにはとてもびっくりした。イベントの最後に質疑の時間があったのでそのことについて訊いてみると、江國香織氏はあまりそういうふうには思っていない、佐野さんの書くエッセイはまったく生々しさがない、その意味でノンフィクションでありながらフィクション的なのだ、というようなことをおっしゃりわたしは思わず唸ってしまった。彼女は進行をしていた編集者の「生涯書き続けた佐野洋子を掻き立てていたものは何だったのか」という趣旨の質問に対して「生活のためっておっしゃるような気がする」と答えてもいた。ものを作るひとたちに対してわたしたちは往々にして幻想を抱きがちだけれども、実際はとてもプラクティカルであったりもするのだ、というか、その幻想を抱かせることこそがものを作るひとのある種仕事でもある、と言うこともできる、ファンタジー、非日常、うむ、
それにしても江國香織氏は話の中で「最近は厳し過ぎる」「何を書いても怒られそうで」的なことを言っていてわたしは率直にたいへんショックを受けた。わたしは江國香織の小説が大好きでたくさん本も持っているし、指標としている作品もある、そういうひとがこういうことを言うのか、と、そのことを考えるととても悲しい、どう受け止めたらいいのかわからない。
きのうは一日雨かと思っていたけれど夕方早くにすっかり上がって晴れ間が出ていたので投票に出掛けた。自転車でもよかったけれど少し歩きたい気持ちになっててくてくすたすた、涼しくなった夕暮れの街を投票所へ向かった。
わたしは最近、障害者福祉施設で週に何度か働いていて、そういえば施設の利用者さんたちは投票はどうしているんだろうか、ということをふと思って、施設に入って車椅子で生活をしている祖母は、この間会ったときに頑張って励まし少し気持ちが傾いていたようだったけれど結局今回は投票には行かないことにしたらしい、あるいはこの国で暮らす外国籍の選挙権がないひとたち、投票に行けない、行きづらいひとたちのことを、思った、そうして投票所に着くとわたしの前にいた男性が「母が入院中なんですが投票する方法はありますか」と訊いていた。
どんな結果になるだろうか。あなたはどこに入れる/入れたんだろうか。わたしは日本共産党に。どうかどうか、属性や背景に関係なくあらゆるひとに寄り添い優しい政治をしてくれるひとたちを選んでほしい。排外主義や陰謀論を振りかざす参政党は絶対にだめ、自分達の目先の利益だけを考えて軍事費を増やし続け税金や社会保険を上げ続けしかしちっとも社会に還元しない自公政権はもう終わりにしたい、空っぽの維新、その二番煎じで結局自民公明にすり寄る国民民主、ちゃんと、ちゃんとよく見て、考えて、どうか、投票に行ってほしい。
家に帰ると19時を過ぎていたけれど空はまだ昼間みたいに明るくて薄い鱗雲が広がっていてああ陽が長いなあと思った。