2025.08.20 ごめんね

なんかぼーっとしていたら目の前で乗るべき電車をやり過ごしてしまった。暑すぎるのだ。今朝は変なところに擦って手の甲の変なところから血が出た。久しぶりの絆創膏。

最近は短編やエッセイが続いていたのでまとまった物語が読みたくて、北海道の本屋で買ってきた名前も知らない作家の(スタークラシックスシリーズ、村上春樹訳)小説を読みはじめたらなかなか良さそう。暑すぎるし時間もあるし引き籠もっていろいろ読み進めたい夏、黙々と淡々と。

なんとなく、いわゆる“歌もの”が聴けなくて、でもそうすると何を聴いたらいいのかもよくわからなくて、最近は家でもBrian InoのアンビエントとかHenning Schmiedtのアルバム(アンビエントよりのピアノ)とかをかけている。移動中は無理になにかを聴かなくてもいいような気もするんだけど、ひとの多いところではいろんな音が気にってしまうのでやっぱりイヤフォンをしたくなって、それで結局アンビエントとかエレクトロとかをまあ仕方なく、といった感じで聴くともなく聴いている。音楽に失礼だな。以前友達がシェアしていたSpotifyのmusic for plantsというプレイリストがよかったんだけど、わたしはもうSpotifyを使うのはやめてしまった。

先のことに関して絶対はないから、そうは言えないのだけど、わたしはたぶんもう音楽をやらないと思う。音楽をやらない、というのは新しい曲を作ってレコーディングをして作品をリリースしたり、ひとまえで歌ったり演奏したり、そういうことをしない、という意味。気づけば20年近い時間を音楽に費やしてきて、その時間や自分の想いみたいなものを言葉にするのは難しい、というか、あまりしたいという気持ちにならない。でもなんか、すっと、消えてしまった。もう長いこと風前の灯同然だったのかもしれない、Dawnという愛する作品を作ることが出来て、次に作りたい作品描きたいこともたくさんいろいろイメージが浮かんでいたけれど、それを形にしたいしようというエネルギーがもう自分の中にはないのだった。すっかり枯れてしまった。水やりを怠ったのはわたしなんだろうか。

あなたがいなくても淡々と日々は過ぎ、わたしは無風の心のままでそれらを生き、やがてそれにも徐々に慣れ、というか、あっという間に慣れ、新しい日々に向かっていくのだ。ギターはさすがにすぐに手放す気にはならないのだけど、アンプとかスピーカーとか、もう使わないし、ちょっとずつ整理しよう。

誰にも話したことはないけど前から心の奥でひっそりやりたかったことがあって、来月からそれをやってみることに決めた。新しくしかし地続きの日々よ

あなたがいなくても生きられる。そのことを知っている。