2025.09.30 そして過ぎ去った9月

少しぶりに走りに行った。先週末までなんだかバタバタしており、それから数日はゆっくり過ごして今日ようやく。本当は今日も夕方を過ぎてなんだか眠たくてこのままゆっくりしたいという誘惑にかられたけれどいやいやこういうときこそ、と自分を奮い立たせて出掛けて行けば風が心地よくてたいそう気持ちのいい時間になった。自分で決めて、自分で守る、そのことがとても大事だと思う。生まれて初めて、だと思うのだけれどここ数日なんだかきゅうりが食べたくて、そうだしばらくぶりにピクルスを漬けようと思い立ち、きゅうりとそれからみょうが(みょうがという野菜がわたしはとても好きなんだ)を買ってきて、一本残っていたにんじんも切ってさて準備万端と思えばお酢がほんの少ししか残っていなくてえーと思ったけれど、今日はあっさりすぐそこのスーパーまで行く気持ちになったので階段を降りて登って、お酢を買ってきて、切った野菜とピクルスの液が計ったように瓶にぴったりおさまってそれはとても気持ちの良いことだった。

最近は姉のことをなんとなくずっと考えている。毒親というのがあるけれど、彼女はそうか毒姉なのか、という考えに至って、でもわたしにとっては姉は姉だし、わたしたちはそれなりに近しくつい最近まではしばらく一緒に暮らしてもいたし、あちこちに一緒に旅行もしたり、良い思い出は当たり前にたくさんある。しかしわたしは彼女によってひどく傷つけられてもきたし、要らないあれこれを植えつけられたりもしてきたと思うし、彼女の気分にさんざん振り回されひどい扱いを受けてきたのもまた事実で、彼女はまったく自覚をしていないと思うけれど、わたしにひどく甘えている、わたしにならなにをしても許される、わたしのことは傷つけてもなにをしても良いと、そういうふうに思っている節があり、この間友達とふとその話になったのでここしばらくの姉との間にあったことを話したらひどく驚き呆れていた、そしてそれは愛着障害だ、とそのひとは言ったのだった。

しかし彼女が変わることはないだろう、あるとしてもそれは彼女自身が、自分で気づいて自分で変わる必要がある、わたしがどうこうしようとすることではない、そう思ったときにではわたしは彼女とどのように関わり付き合うことを選ぶか、という、わたし自身の選択の、結局は問題なのだなというところにいきつくので。

姉とは向こう一年くらい必要がなければ連絡を取らなくても良いくらいのいまは気持ちだけれど、でもわたしは彼女の子どもに会いたいのだ。わたしのかわいい小さいひと。あっという間に大きくなってしまうから。どうしたもんかなあと揺れている。