2025.07.18
投開票日が近づき、なんとなくざわざわしている、こんなふうに感じるのもなんだか久しぶりだなということに気づく。最近はSNSに物事を書くこともほとんどしなくなっていたけれど参政党というひとたちが出てきて、いても立ってもいられなくなってしまった、きのうはさや氏が核兵器が国際社会で交渉を行うための「最も安上がり」な手段だと主張する動画を見て、本当に怖くなって怒りが湧いて悲しくて、それを自分のSNSに上げた。反応はまあまああるみたいだけれど、あまり見ていない、疲れるしほかにやることはたくさんあるし、休み休み、
こんな世界で、自分は、わたしは、どんな言葉を持ち得るだろうか、そういうことを改めて考えている。
何日か前、あるひとがnoteに書いた文章をシェアしていたので読みに行くと、ものすごい精度の高さのテキストがそこにはあり、あぁそうだよな言葉にするってそういうことだよな、ということを思い、そのままなんとなく自分の過去のnoteを読んでみたらそこにもまあまあの精度の文章があって、あれ、と思った、これはわたしは最近はやっぱりサボっていたということになるんだろうか、あるいは種類や方向性の違いということなんだろうか。書くことにしたって様々な角度の視点を持つことにしたってぜんぶ日々の訓練、積み重ねなのだ、
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おととい、Brian Enoの映画のチケットを取っていたので夜歌舞伎町まで出掛けて行く、着て行く服が相変わらずなく、でも少しくらいはちゃんとした格好、というかおしゃれをしたくて本当は少し季節外れだけれど曇りで暑さはわりと落ち着いていたからシルクの長袖のシャツドレスを着て出掛けた。わたしは映画館ではいつも最後列の真ん中の席を取るようにしているのだけど、自動的に選択されたわたしのシートはこともあろうに最前列のいちばん端だった、歌舞伎町タワーの映画館はプレミアムなんとかという名前がついていて、クッションの効いた座席はとても広くリクライニングも付いているしテーブルも付いているし隣の席までの距離もあるし足も伸ばせるし、なんかそんなふうなつくりになっていた。坂本龍一さんが音響を監修したのらしく、そのことをアピールする映像がくり返し流れた。観客は驚くべき高さのポップコーン購入率で、わたしが席についたあとに入ってくるひと入ってくるひと、みんな大きなポップコーンの箱を抱えていた、わたしの知らない秘密がないかそこにあるのではないかと思うほど。予告編をやや落ち着かない気持ちで眺めていたら友人がどーんと大きく映った。コンビニに行ってふと雑誌などめくってみれば友人知人が当たり前のようにでかでかと載っており、WEBのCMでは友人知人の姿がしょっちゅう流れ、電車に乗っていれば隣の女の子たちが友人のバンドの話で盛り上がっていたこともあった、いつの間にかそんなふうになった、そういうときにわたしが感じるのは嫉妬でも羨望でも誇りでもなく言うなれば漠然としたわからなさ、不可思議さ、みたいなもの
映画自体は当たり前によかったけれど、わたしは今年の初めにBrian Enoのワークショップに参加しておりそれと重複する話がたくさんあった、あとジェネラティブ・ドキュメンタリーとかいって、観るたびに内容が異なるというのは画期的というか面白いコンセプトだと思うけれど、でもだったら期間と会場を限定してあっという間にチケットがソールドアウト(しかも高い)していたのでは複数回観るのは現実的に困難であり、そうであるならばぜんぜん旨みがないじゃないか、趣旨がずれているではないか、と思ってつまらない気持ちになった。それでも大きなスクリーンに映るBrian Enoはやっぱりとても知的で魅力的で、帰り道に彼のオンラインショップで気になっていた彼の書籍となんとかというカード(名前を忘れた)を購入した。海外からのシッピングなんて久しぶりだ、いつ届くだろう。
初めて行った歌舞伎町タワーはなんていうか、そうかまあそうだよねこういう感じだよね、という以上の感想の持ちようもなく(シアター手前にあるラウンジやバーがある映画鑑賞者のみが入れるスペースは広く小洒落ていていかにも高級感を演出しました、といった雰囲気なのにそこにはでかでかとスーパーマンや鬼滅の広告が出ており、スーベニアショップと呼ばれる場所もおそらく美術館のそれを模したものだろうと思われたけれど、「新宿」という文字が大きく刺繍されたド派手なカラーのTシャツやアニメのグッズ、それらと並んでBrian Enoのレコードが置かれていたり、センスどうこうというよりそれもそうなんだけど行き届いていないというかいかにも愛情もこだわりもないというのが伝わってきた)社会科見学というか怖いもの見たさというかそういう好奇心でバーに寄ってみようかなとも思ったけれどお酒を飲む気分でもなかったし寂しくてつまらない気分に嫌だったから目についたジェラート屋さんでジェラートを買って特になんとも思わない新宿の夜景を眺めながら食べて帰った。ジェラートはちゃんと美味しかった。
そんなことで疲れていたのかもしくは遅い時間にジェラートを食べたせいかきのうは朝起きられず二度寝から目を覚ましたら8時を過ぎていた。だけどゆっくり休んだのが良かったのかなんとなく身体は調子が良く、集中して仕事をし家のことをやりスタジオに行きそうして夜には走りに出れば足がすいすいと前に進んでどんどん走れるようなあんばいで、なんだかよくできた一日だった。
わたしにはわたしの目に映る真実があるように、誰かには誰かの目に映る真実があり、それはもうそれぞれに等しく真実なのであり、そうである以上正しさを主張し合ったとて交わることが出来ないのは当然なのではないか、わかり合えなさ、理解の出来なさの向こう側にどうしたらいけるのだろうか、あるいはそんな場所はなく、それらを抱えたままどうにかどうにかやっていくしかないんだろうか、そうかもしれないね