2025.12.31
いま、わたしはなにを考えているだろうか、と考える。あるいはなにを感じているだろうかと。でもとくに思い浮かぶこともなく、とても静かな気持ち。心。SNSをひらけば一年の振り返りで溢れている。それぞれの暮らし、それぞれの日々。垣間見るだけの、本当の意味では関わることのできない、いや、そんなこともないか、だけどそれができるのは、ほんとうのほんとうに稀で、そして束の間で、であるならば、ひとと出逢ったり関わったりするというのはいったいどういうことなのだろうか。まあでも単純に生きるというのはとてもハードなことだから、助け合って励まし合ってそうしてごまかしごまかし、いや、でももっとこう、能動的で肯定的な営みだってあるものね、
今年は、自分を守るために、自分が磨耗すると感じる関係からは距離を置く、ということを時間をかけて行い、そうしてひとりの時間を久しぶりにたくさんたくさん過ごした。だけど一方で、信頼するひとたちに自分自身をより多くより深く、少しずつではあるが開示できるようになったとも思う。目に見えるかたちではなくとも、実感として、確実になにかが残った。そう思う。
そうしてなんとなく、作りかけの曲を来年は頑張って仕上げて録音したいなという気持ちが、ふっと戻ってきたここ数日で、それはまったく思いもかけないことだったので静かに驚き、だけどやっぱり嬉しくて。やっぱりそうなのだな、と思う。Bメロのところがさ、ぜんぜんわからないんだよね。たぶん丸ごと作り替えたほうがいいのだろうけど、一度なんとなくでもかたちが出来てしまうとそこから離れるのはいつも難しい。これまでにしたことのないコードの押さえ方で作ってしまったので覚えているだろうか。どこかにメモを残しただろうか。まったく手掛かりがなかったらどうしよう。まあ、やってみよう。
今年のことを、わたしも例に漏れず振り返ってみれば、下半期はほんとうによく休んだ、休息と回復の時間だった、と思う、そしてだけど上半期のことはあまり思い出せないなあと思いながらも記憶をたどってみれば、決定的に心が折れた出来事というのがあって、そうかだからわたしは曲作りをたぶんそこでやめたのだ、という気がしなくもない。どうなのだろう、こういうのってひとやなにかのせいにしているみたいな気がしてしまうのだけど、でもやっぱりなんとなくそんな気がして(だけど考えてみれば、わたしがもっと違う姿勢や態度でもって向き合っていればあるいはもっと違う結果になったのではないか、とも思う)あとは人間関係でもとても傷ついていたから、後半の半年間は自分を癒すという意味でひとりになりただただ静かに過ごすということが必要だったのだろうと思う。
そしてそういう時間を経て、わたしはまた少しだけ強くたくましくなった、と思うし、英気を養った、じゅうぶんに、だから来年はまた少しずつわたし自身も物事も動いていくのであろう、そういう予感と希望に満ちている、年末。とても穏やかな気持ち。いまあるすべてが文字どおりの意味で有り難いと感じる。来年はより、生きられる気がする。
あなたも、どうか良いお年を。来年かもっと先かわからないけれど、またそのうちに会いましょう。今年もどうもありがとう。