2023.07.15

すもも、あるいはプラムという果物をほとんど買ったことがなかったのだけれどこの間姉のところで食べてからなんとなく何度か買っている。プラムといえば思い出すのは小学校の給食だけれど、あの当時わたしはその果物があまり好きではなかった。特別嫌いだったわけではないけれど、好きでもなかった、どちらかというと妙な酸味が苦手だった。スーパーで、少し奮発しようと大好きな桃をかごに入れ、それからその横に並んでいたすももあるいはプラムもまたひとパック一緒に買ってきた。相変わらずあまり料理をする気が起きないので最近は果物ばかり食べている。

予想最高気温39度。きのうはめずらしく一日外におりいくつかの場所に出掛けて順番にいろいろのひとたちと会ったけれど、今日は一日家にいられる。さすがに暑過ぎてなにもする気が起きないので仕方なく冷房のスイッチを入れる。当たり前だけれどやっぱり快適だ。

きのうは夜、代々木公園で友人のハンドパンの演奏を聴いた。彼は今年のはじめにしばらくインドへヨガを学びに行っており、ヨガだけでなくヒンドゥーのマントラやハンドパンなどさまざまの文化の知見を得て帰国しており、彼がときどきSNSにアップしているハンドパンの音色をわたしはとても気に入っていた。わたしより先に到着していた友人と、彼の友人の女性ふたり、そしてたまたま通りかかりきれいな音ねと声をかけてきた外国人の女性と広場に座って世間話をしながらバンドパンの音を聴いた。外国人の女性は英国のWales出身で数ヶ月日本に滞在しており、この先のことはまったくの未定だと言っていた。曰く彼女は「スピリチュアルな」人間で、「サイン」を待っている(「サインを探しているのではなく、サインがわたしを見つけるのを待っている」)のだそうだった。彼女は美しい島からやって来てそして海をとても恋しいと言い、石垣島もとても素晴らしかったと言っていたけれど、それでも東京をとても気に入っているようで”I love it here”と何度も言っていた。わたしにはそれが不思議に思えた。発泡酒とレモンサワーの缶を一本ずつ買って行き順番に飲んだのでわたしは少しいい気分になって、途中からは友人が用意してきてくれたシートに仰向けに寝転がってわたし以外のひとたちの話とハンドパンの音を聴いていた(友人の友人である女性ふたりのうちひとりはほとんど喋らず、もうひとりはとてもよく喋った、外国人の女性は今日は疲れたから休むといってすでに帰っていた)。わたしはずいぶん開放的な気持ちで履いていた靴下まで脱いでしまって、虫除けのスプレー(天然成分だけで出来ておりハーブのとてもよい香りがする、わたしが持参したものと同じものを友人も持参していた)を素足に吹きかけると風にすーすーしてとても気持ちがよかった。視界の四隅には背の高い木々の枝葉の真っ黒いシルエット、中央には途切れ途切れに雲のかかった空があり、右上にひとつと左下にひとつ、小さな星を見つけた。

彼らと別れ、ひとりになった駅のホームでイヤフォンを耳に差し込んでなにを聴こうかしばらく考えたけれど聴きたいものがなにも思い浮かばなかったので、マスタリング中の自分の音源をかけた。とても、何度聴いてもやっぱりすごくいいなと思って、ハンドパンを聴かせてくれた友人に聴かせたいなと思った。繰り返し何度か聴いて満足したあと、久しぶりにWe Are Always a Bit Lonelyを聴いてみれば、この作品をこんな風によく作ったなあと当時の自分を抱きしめたい気持ちになった。そうして作品を作ることはわたしが自分自身を肯定するためのほとんど唯一の手段なのではないかということを考えながら駅からの道を歩いた。橋の途中で最後のTokyo Lullabyが終わったので、いつかこの曲を録音しようと思い立ったときと同じシチュエーションだなと思いながらEvery Blueをかけ、向こう岸の灯りが見える川沿いの道で曲が終わるのを待ってからマンションの階段を登った。