2023.11.01
いつだったか、地元の親友と二人で深夜に飲んでいたときに彼女が「世界は変えられないから」と言った。それは、だから自分自身が変えられる範囲内で変えられることを変える、というような文脈だったけれど、わたしはちょうどCLPで性犯罪に関する刑法改正についての配信に出演したすぐ後で、多くの人たちの粘り強い尽力や働きかけによって世界が変わったのだということを実感したばかりだったから、そのことを彼女に話した。世界は、変えられることも、ある、と思ってる、と言うと彼女は何度も頷きながら聴いてくれた。
そういうことをさっきお風呂に入りながら思い出していた。自分が、いろんなものを削りありとあらゆるものを込めて作った作品を世に出したとてべつに世界はなにも変わらない。びくともしない。と、思う。でも、本当にそうだろうか。わたしが作った曲を世界のどこかのたったひとりが聴いて大なり小なりのなにかを感じたのなら、それは世界を変えたことにはならないのだろうか。そういうことを、そして、考えた。
夏過ぎ頃から、心がぴたっと動くことをやめていて、それがいまだ続いている。これは驚くべきことだけれど、そして書くのに勇気が要ることだけれど、イスラエルとパレスチナのニュースを見ても、心があまり動かない。強い怒りも悲しみも湧いてこない。実感の伴わない遠い国の遠い出来事としてただそこにある。例えばいまコロナが来たら、わたしは3年前と同じようにSaveOurSpaceやWeNeedCultureに参加するだろうか。いままた選挙があったら、前回と同じようにチェックリストに関わるだろうか。今度また音楽業界団体が結託して自民党候補を“応援”したらわたしはまた同じように抗議の声を挙げるだろうか。いま東京にいたら、戦争に反対するデモに足を運ぶだろうか。
自分の生きる世界・社会は自分自身・自分自身の日々・生活とすべて繋がっている、そういう信条でこの数年はさまざまのことに関わってきて、多くの人の無関心な態度が理解できずに時には批判さえしていたのに、いまは世界をとても遠くに感じている。なにが、どう、変わったのだろうか。
どういうふうに世界と関わり続けることができるのか。そもそも世界とは何か。
作品を出しても世界はなにも変わらなくて、でもそもそも変えよう変えたいと思っているのだろうかわたしは、それより誰かの心に、世界に、触れたい、ということを、そのことだけを、いま思った。