2022.04.01
低迷したまま三月が過ぎた。こういうことは前にもあったっけ、と考えてみると、あったような気もするし、なかったような気もする。記憶を探る体力あるいは気力すら不足している。この無気力がなにに由来しているかといえば恐らく主に不眠だろうと思われるわけだけど、結局きのうも夜中の3時に目が覚めて明け方まで眠れなかった。振り回されている。
眠れないから歌詞を、きのうは書いていた。頭の中で。歌詞を書く場合例えば具体的な絵が浮かぶ言葉を入れるといいとか、わたしはあまり知らないのだけど、そういうメソッドのようなものがあり昔お世話になったひとによく聞かされたそれらをいまでも断片的に覚えていて、だけど実際それらをいま、とてもとても邪魔だなと思う。すごく、邪魔。足枷。
この間夜遅くに少しだけ飲んで帰ってきたとき、水が見たいと思って河原に降りた。久しぶりに口からするする歌が出てきて、周りにはなにもなく誰もいなかったから歩いたり止まったり対岸の明かりや水面に映る光を眺めたりしながら歌を歌って気が済んでから家に入った。あぁわたしはやっぱり歌わなくちゃとそのとき思った。なんかもう、本当に二度と歌えないかもしれないみたいなことを、弱気になるとすぐに思うのだけど。そういうのも独りよがりで本当ばかみたいだなと思うけれど。
散り散りになった心なのか気持ちなのか想いなのか思考なのか、よくわからんそれらを眺めて、なにから手をつけたらいいのか分からなくて、手に負えないまま日々が過ぎて、桜が咲いてそうしてきっとすぐに散って、そんなことをしていたら四月なんてまたあっという間に終わって、わたしはまたどこにも行けないのだわ。
町田彩夏さんが、ご自身が司会を務める番組の第一回目のゲストにわたしを読んでくれて、それはわたしにとっては意外な出来事で、でもさらに意外なことにわたしのこの日記みたいなものを好きだと言ってくれて、わたしは驚いてそして嬉しくて、一緒に活動していたチェックリストの頃のこと、あぁこんな風に思ってたんだな、と思ったと言ってくれていて、でもわたしはなにを書いたのかまったく覚えていなくて、でも覚えていないから、そうして忘れることを知っていたから、こうして日々書き留めて忘れないように思い出せるようにしているのだよな、ということを思った。だから書き続けてきてよかった。し、これからも続ける。あとどれくらい書き溜めたら本にできるだろうか。
去年切れたままになっていたパスポートを、今のところ海外に出掛ける予定はないけれど行きたくなったときいつでも行けるように今日は申請をしに立川に出て、証明写真を撮れば思っていた顔と全然違った顔がそこには写っていて、申請のカウンターに行けば隣の窓口でスーツを着た男性が大声で文句を吐き散らしていてわたしは思わず口を挟みそうになったけれど我慢して、わたしに対応してくれている職員の女性に努めて丁寧に接した。エレベーターをひとつ降りると本屋があり、当たり前のように吸い込まれて、今日はなにも買わないだろうと思ったけれど結局一冊手に取ってレジに並んだ。読み途中のレベッカソルニットの『説教したがる男たち』がなかなか読み進まない。たぶん、というか、これはかなり確信に近いのだが、邦訳が恐ろしく悪い。
数日前からなんだかやたらにドーナツが食べたくて、見てみると同じビルの中にダンキンドーナツがあったのでなんだか懐かしい気持ちになり(専門学校の近くに店舗がオープンしたとき友達に誘われて何度か並んだ、アメリカでも何度か行った)寄ってみれば、イートインなのにコーヒーが当たり前に使い捨てカップに入って出てきて、わたしのバッグの中には最近ようやく買った折りたためるシリコンのカップが入っており、しかしイートインだったらマグで出てくるだろうと思い込んで出さずにいたから、プラスチックの蓋がされたそのコーヒーをみた瞬間とても悲しくなった。そういえばこの間久しぶりにスターバックスでコーヒーを飲んだときも使い捨てカップに入って出てきた。彼らはいつからマグカップを使わなくなったのだろう?これだけ環境問題のことが声高に叫ばれているのに、なんでこんなことが当たり前に行われているのだろう?脳内と現実の乖離にいつも呆然とする。こういうとき、すごくひとりを感じる。