2022.05.20 感を受す

とても眠い。というか、全体的にぼーっとしている。電車に乗っている。千葉の祖母の家に向かっている。1時間ちょっとで着くようなイメージでいたのだけど、出掛けになって調べたら1時間40分だった。母は11時頃着くように行くというので、わたしは12時を目指すと伝えていたのだけど結局13時頃になりそう。頭が回らない。

先週、いっときしょっちゅうふたりで遊んでいた友達に4〜5年ぶりくらいに会った。わたしは渋谷でレイトショーを観たあと、近くに住んでいる友達と少し飲んで、その友達とも会うのが久しぶりだったから積もる話を色々して、彼はとても率直にいろんなことを話してくれてそのことはとても嬉しかったのだけど、同時になんだか悲しくもなってしまって、わたしはぐいぐいハイボールを飲んで、飲めば飲むほどどんどん悲しさが広がって沁みてきて、心の置き場がなくなってまっすぐ帰る気にならず、ふと顔が浮かんだその友達に久しぶりに連絡をしたのだった。

お互いタクシーに乗って中間地点で待ち合わせて、唯一灯りが着いていた駅前のチェーンの居酒屋に入った。あっという間に4時になって、店員が閉店ですと言いに来て、始発までまだあるからカラオケに行こうと彼が言ってわたしたちはカラオケに行ってまた酒を飲んで話をして、それから少し歌った。彼はわたしの好きな曲ばかりを歌って、わたしの歌う曲を彼は好きだと言った。フォーククルセイダーズをユニゾンで一緒に歌った。店を出てもまだ細かな雨が降っていて、わたしたちはビニール傘を刺して煙草を一本ずつ吸って、別れた。

何というか、朝になるまでずっと、普通の楽しい体裁を保ったままいたのだけれど、次の日になってもその次の日になってもべったりと重たいものが心に張り付いていて、二日酔いと寝不足が過ぎ去って冷静になって、その重たいものを剥がして見てみれば、あぁあのひとはわたしの話をなにも聞いていなかったなと思ったのだった。あの時間中ずっとわたしは否定されていた。わたしの発言も、この数年やってきたことも、こともなげに、ことごとく、否定された。それがわたしの感じていたものの正体だった。ところどころ途切れた記憶の中で、だけど鮮烈に残っているいくつかの言葉があり、それらはわたしが最も忌み嫌う類のものだった。でもそのときは、そのひとがそんなことを言っているということを、その状況を飲み込めなくて、ずっとなんだかよくわからないまま懸命に言葉を投げていた。いま思えばなにひとつ噛み合っていなかった。弾かれた言葉があっちこっちに脈略なく舞っていた。

わたしは彼のことがとても好きだったし信頼していたけれど、でももう話すことはなにもないなといま思う。そしてそのことを悲しいと思う。

そうしてだから島に行ってせっかく元気になったのにこの一週間はまた使い物にならなくて、なんだかよくわからない感じになっている。加えてきのうは中絶薬の服用に配偶者の同意が必要という信じられないようなニュースを見て、午後はずっと落ち着かない気持ちでほとんどなにも手に付かなかった。

コロナ禍になってからお世話になっていた箱のスタッフさんに久しぶりに会ったとき、「のんちゃんは感受性が強いから大変だったと思う」と言われて内心とても驚いたことがある。学生時代に付き合っていたひととふたりで沖縄に行って、帰ってきてから「俺にも同じくらいの感受性があればな」と言われたことがあって、そのときもとてもびっくりした。自分が感受性が強いなんて思ったことがなかった。でもこの一二年でやっと少しわかってきて、あぁこういうことか、と最近は思う。

打たれてしまう、いろんなことに。とても容易く。そうしてそのいちいちに振り回されて、自分がままならなくなる。下手くそな人生だなと思う。ときどきとても疲れる。

文章を書き始めた。恐らくこれまでに書いたものの中で一番長いものを。どうとかいつとかではなく、とにかく書き終えることを目標にしようと思う。