2022.06.22 イレブン

おととい、記者会見を終えみんなで食事をして、最寄駅に着くころにはほとんど真夜中になっていて、なんとなくコンビニに入って翌日の撮影で使えそうなアイシャドウをひとつ買いガラスの自動扉を出ればやけにこちらをじろじろと見ている男性がおり、視線を向けるとなんとアメリカの大学で一緒だった先輩だった。10年以上会っていない上にマスクもしていたのによく気がついたなと思って驚いた。彼はちっとも変わっていなかった。彼の目にわたしはどう映っただろうか。こんな時間にこんなとこで何してるん、ときかれ、記者会見と説明するのも面倒くさいなと思っていると「ライブ?」とさらにきくので、そうかわたしが音楽をやっていることは知っているのか、と思って結局記者会見で司会してきて、最近そういうのもやってて、と適当に答えると「へ〜すげ〜」と言っていた。彼は結婚してからずっと近くに住んでいると言い、四月に子ども生まれたんよ、と写真を見せてくれた。彼は当時わたしのことを好きだといって、なにかと気にかけてとてもよくしてくれたのだった。アメリカの薄いビールを水のようにするすると飲むひとだった。卒業して帰国したあとはずっと塾の講師をしているらしい。元気そうだったけれど忙しそうだった。その日もこんなに遅くなる予定じゃなかったのに、と仕事からの帰るところだった。今度飲みに行こうとか社交辞令を言われたら嫌だなと思ったけれど、じゃぁ元気で、と言って自転車で走り去っていった。

きのうは早起きをして朝から筑波に行って一日撮影。筑波大学に通っていた友達がいたからわたしも一日大学に忍び込んで一緒に授業を受けたり学食で食事をしたりしたことがあり、そのときぶりの筑波、とつくばエクスプレス。最近筑波に越してお店をはじめた友達を、彼女の店といくつもいくつも石段を登った先にある神社で撮った。みんなで蚊に刺されながら頑張った。いいのが撮れたと思う。撮影後ワイナリーでワインを買って(筑波はけっこうワインを作っているらしい、わたしも自分へのお土産にリースリングを一本買った)ピザをテイクアウトして帰ろうと言ってお店に寄れば臨時休業で、結局チェーンの宅配ピザを注文して、3人でしこたまワインを飲み、結局終電で東京まで。二日連続であまり眠れていなかったので水をちゃんと飲むように気をつけていたけれど電車に乗っているうちにだんだん気持ちが悪かった。筑波で一日とてもいい時間を過ごしたけれど、前日の記者会見やそれにまつわるあれこれのことでわたしはなんだかとても悲しい気持ちになっていて、わたしが信頼し甘えている歳上の女性に連絡をすれば遅い時間だったのにすぐにとても丁寧な返信をくれて、それを読みながらなんだか涙が出てきてやっぱり酔っ払っているのかもしれないと思った。つくばエクスプレスを降りて秋葉原で乗り換えたときにはまだ平気だったのにいつの間にか電車の窓に雨が打ち付けていて疲れていたしタクシーに乗ろうかと思ったけれど駅前には一台もおらず、仕方がないのでコンビニでビニール傘を買って帰った。「使い果たした」と、はっきりと言葉でそう思った。

今日は一日ゆっくり過ごし、夜になって映画を二本見た。Joy Divisionのボーカリスト・Ian Curtisを描いた『Control』と、70年代のロックバンド・The Runawaysを題材にした『The Runaways』。わたしはJoy Dicvisionのことは名前とあのグラフィックくらいしか知らなくて、映画を観てこんな風に歌うひとだったのかと思い昔のライブ映像を観てみたら映画の通りというか当たり前だけどもっとすごかった。動きもさることながら、表情がすごかった。ものすごい目をしていた。The Runawaysのライブ映像も探してみたけれどあまり見つけられなかった。日本でとても人気が出て来日公演もしていたらしい。昔のバンドのことをわたしはあまりというか全然知らない。ダコタ・ファニングもよかったけれど、クリステン・スチュワートがとても役にハマっていて魅力的でよかった。立て続けに二本観て、音楽も音楽ビジネスも、世界も、いまとはまったく違うものだった時代を生きてみたかったという思いがよぎって、でもなんだかそれは浅はかな考えのように感じて勝手にひとりで自分を恥じた。

なんだかここ数日は久しぶりに心が折れかけていたから、きのうは筑波での一日があってよかった。助けられた。相変わらずいろんなことがうまく出来なくて、気になってしまって、愛せるものが少なくて、そういうときわたしの心は穴の空いた風船みたいにしぼんでひゅーっと飛んでどこか隅っこに落っこちる。でもそれに気づくひとは誰もいない。そしてわざわざ自分で申告するつもりもない。いろいろ、やっぱり自分が変なのか、自分がおかしいのか、と思うけれど、そうではなく「ただ違うだけだ」と言い聞かせるよう努めて過ごし、それはいいことだったと思うけれどでもだからってなにが変わるわけでもないようにも思えた。きのう筑波で彼女たちが「子どもの頃から自分はひととは違うということを自覚していた」というので、わたしはこの2〜3年でようやく気づき理解し始めたのにすごいね早熟だね、と言ったら「遅すぎる!」と声を揃えて言われた。彼女たちと話して、カウンセリングはわたしたちのようなひとにはあまり効果的でないという結論になったのでやっぱり通うのはやめようと思った。ネタとしては興味があったから少し後ろ髪引かれる気持ちもあるけれど。予約キャンセルの電話をするのが億劫。腕や肩をいくつも刺されておりあっちもこっちもとても、すごく痒い。