2023.05.20

今日は長風呂しようと決め込んで文庫本三冊と(どれにしようか迷って選びきれなかっただけ)水筒とスマホを持って湯船に浸かる。少し前に小さなBluetoothのスピーカーを買ったので、最近はお風呂でも音楽が聴けるようになった。最近はピアノとかアンビエントを聴くことが増えた。

長らく仕事や用事に間に合うぎりぎりの時間までベッドでぐだぐだ過ごしずるずる這い出る生活をしていたけれど、最近急にしゅっと起きられるようになり、ここしばらくは7時過ぎに起きてヨガをして瞑想をして、という我ながらなんというか、まあそういうような生活。目覚ましがなる前に目が覚める日もちらほら。歳をとると早起きになると言うよなあと考えながらしかしそういえば最近はとてもよく眠れているなということに気づく。夜中目が覚めることはほとんどなく朝までずっとぐっすり眠れている。そして夢を覚えていることも多いからそれというのはつまり浅い眠りのときにちょうどよく起きられているということかしらそうだっけ。去年おととしは眠れない時期がそれぞれにあり、数日まともに眠れず日中死んだように生きていた日々もあった。あのころといまの違いは何だろうかと考えてみるけれどよくわからない。やっぱりコロナの中での色々やそれに伴う活動のいろいろで気が立っていたんだろうか。でも世の中の状況を鑑みてみればさして変化があるとは思えずむしろますますざわざわしていると言っていいくらいで、そうであるならば変わったのは自分自身であるということでそれはつまり単純に慣れたということなんだろうか。

コロナが収まって、コロナが落ち着いて、コロナが明けて、とみんなが口々に言うのをきくたびにとても驚いてしまう。ウイルスはなにも変わらず存在しているのに、そしてわたしたちがそれを引き受ける決定的手段を手にしたわけでもないのに、それをどういう枠組みに納めどう扱うか、なにひとつ信頼できないひとたちの都合で勝手にその枠組みが変更されたというただそれだけであっという間にそういう“空気”になること。その、なんというのだろう、単純さというか素直さというか明快さみたいなものにわたしは驚き言葉が一瞬出なくなる。

流動食のようなものばかり食べ続けていたこの一週間かもしかしたらそれ以上だったけれどそろそろもういいやろという気持ちになって、何日か前、冷蔵庫に残っていたえりんぎで前から試してみたかったえりんぎカツというのを作った。えりんぎにパン粉などの衣を着けて揚げるだけ。それにオーロラソースをつけて食べる。豆乳マヨネーズとケチャップを混ぜるだけでそんな素敵な名前のソースになるわけだけれど、これが適度な塩味とふわふわ感がありとてもおいしかった。揚げものはたまにすると楽しい。中火だと強過ぎて弱火だと弱過ぎるのでその中間にしたかったけれどうちのコンロでは上手くいかなかった。付け合わせに刻んだキャベツをしゃりしゃりと噛み下しながら、久しぶりに歯ごたえのあるものを食べていると思っていれば見る見るうちに顎に疲労感が溜まっていくのがわかり、あぁ咀嚼にも筋力が要るよねそりゃそうよねと思い、ずっと流動食だけを続けていた顎の形状というのはいったいどんなふうになるんであろうかとぼんやり考えた。今日は調布の駅前まで自転車で出たので、ついでにパルコの地下にあるオーガニック食品などを売っているスーパーに寄って、高いなあと思いながらでもこれくらいなら、最近野菜全然足りてないしと思いセロリと小松菜を買った。最近はあまり生野菜を食べなくなったけれど、水で洗って包丁も使わずぽきぽき手で折って余っていた豆乳マヨネーズをつけて齧ってみればとてもおいしく、セロリがわたしは大好きなのだった。

今日はギターのスケールの練習をしながら思いつきで一緒に声も出してみたらなんだか喉がすーっと通って声がよく出て歌うのが楽しかった。いろんな曲を弾き歌った。そんなふうにしていればアコギを一本弾きながら歌を歌ってまたいつかのようにあちこちライブをして周りたいという気持ちがとても自然に湧いてきて心が揺れた。合間合間に窓の外をぼんやり眺めながらわたしは実際のところいったいいまなにを眺めていることになるんだろうか、ということをふと思い、考えてみたけれどわからなかった。