2024.07.27

朝から3人で海に行き、ばしゃばしゃと泳いだ。小さいひとは近所の子にもらったお下がりのライフジャケットを着て驚くほど上手に立ち泳ぎをするので、大人でさえ足の着かない深さのところでも平気な顔で楽しそうにしていた。わたしは久しぶりに海で泳いだ。この間「スケッチ・オブ・ミャーク」という宮古島の島唄にまるわる前から観たかったドキュメンタリーを観る機会があり、秋くらいに久しぶりに加計呂麻に行きたいなという気持ちになっている。少しのんびりしたい。それにしてもとても、とても、暑い。地球が人間の住める場所ではなくなるまでにはそれほど時間はかからないのではないか。

この何日かはずっと泣きたいような気持ちででもなかなか涙が出なくて、きのうちゃんと向き合って言葉を介せばぽろぽろとようやく出てきてなんか久しぶりに泣いたような気がした。そうして一度出てしまうと今度はなかなか止まらなくてそうなってくると今度は自分がなんで泣いているのかまったくわからなくなってそれは可笑しなことだと思った。いったい涙はこの身体のあるいはこの存在の中のどこに溜まっているんだろうか。

いまのこの場所でのこの暮らしを、少なくとも来年のどこかくらいのタイミングまでは続けるようなつもりでいたのだけれど、意外と早く終わりが来るのかもしれない、どうやらそうらしい、そうして終わりが現実味を帯びるとわたしはみるみるセンチメンタルな気持ちになって、でも、彼女たちには彼女たちの暮らしがあり、わたしにはわたしの暮らしがあり、本来別のものであったそれらが交わったことにこそ悦びを感じ見出すべきだ、といまこれを書きながら思う。心あるいは自分の中の何かしらの人格のようなものが、もう勝手に決めてしまうときってある。そういうときはもうわたしはそれに従うより他にしょうがない。残された時間を精一杯慈しもう、という気持ち。

この間も書いたか、書いただけで載せなかったのか忘れたけれど(たぶんそんな気がする)わたしはいつの間にかとても意地悪で傲慢な人間になっていた。本当に恐ろしいことだと思う。自分自身をもう少し、どうにかしなくてはいけない。何でもかんでもを他のせいにすることをやめて、早く自分で自分の責任を取ることを学ばなくてはいけない、いい加減。

9月の東京でのライブまでまったく予定がなかったので8月はどこかに行きたいなとぼんやり思っていればちょうど良いタイミングで友達からの誘いがあり、少し出掛けることになった。来月は父や友人も遊びに来るのらしい。賑やかな夏になりそうだ。

後回しにしていたリリースのための準備をいよいよそろそろやらなくてはいけない局面。どうしても腰が重くなるけれど、ちゃんと良い作品になったのでなるべく頑張りたい。あといくつかの手紙を書くこと。今日は夕方から地域の夏祭りがあるのらしく、また3人で出掛けてくる。