2024.11.10 雨上がりの生温い夜の中で

本を読むスピードが本を買うスピードに追いついていない。ハンガンの新作を買ったのでとりあえず集中して読んでいる。しかし読み途中の本がどれもとても魅力的で等しく吸い込まれているのでなんというかあっちこっち。きのうは久しぶりに家で映画も観た。ダーニングをしながらなにか流したかったので軽めのものを2本。手元でひたすらに針を抜き差ししていると時間は驚くほどあっという間に経つ。本を読んでいるときよりギターを弾いているときよりよっぽど。

いまこの瞬間に自分はこの場所に存在しているのだ、という意識がとても希薄なことに気づく。いつも自分が生きていない時間のことばかりに気を取られて、自分が生きている時間を誠実に生きていないために結局どの時間をも生きられていない、ということなのらしい。インタビューで、EPの中でGhostという言葉が重複して使われていることについて質問があり、自分がここにいるのにどこにもいないように感じることがある、自分のことを生きながら死んでいる幽霊のようだと思うことがある、というようなことを答えたのだけど、その感覚はたぶん前この意識の持ちようみたいなものに起因しているのではないかしら。自分の人生を自分のものだと思えない、みたいなことで、しかしその感覚であり続ける限り結局わたしはどこにも行けないのではないか、ということを、今日は出掛けて行った近所のイベントで、雨が降ってみんなが身を寄せ合うテントの喧騒のなかでふと思ったのだった。結局わたしはわたしであることを拒否しておりだからつまり自分の生を全うする覚悟みたいなものを欠いているのだ

死んだ両親の遺産かなにかで一生働く必要がなく毎日朝から晩まで本を読んでいる男性の話、あれは誰の小説だったか、もしそんな人生だったらどんなだろうか、ということをさっき歯を磨きながら考えた。雨上がりの生温い夜の中で。