2024.12.28 近くの小さな

これはさすがにもう言い逃れできないほどにはっきりと年末であると、認めざるを得ない年末。久しぶりにずいぶん遅れてやってきた生理のせいか全体的にぼんやりとし体が動かず、今日はゆっくりのんびりずるずると一日を過ごした。荷物も出したかったし最低限買い物くらいはと思い出かけた車の中で、しまったもしかしてまた風邪をひいたのかこれは、とも思ったけれどどうやら大丈夫そう、よかった。

思いがけずそしてめずらしくきのうまでの数日仕事がばたばたとし、次々と悪態が口をつくほどに気持ちも逆立ち夜もあまり眠れなかったので今朝は二度寝三度寝をして久しぶりに遅くまでベッドの中で過ごせば、現実では立ったことのないくらい大きなステージ(アリーナ席があった、しかもたぶん外国であった)で演奏をすることになり準備をするのだが次から次へと機材のトラブルが起こりスタート時間が押しに押したあとようやくギターを鳴らせばそれがもうまったくひどい音で客席がざわめきしかし始まってしまった以上わたしは止まるわけにはいかなくて、イントロが過ぎいざ歌おうと口を開けて息を吸ったその瞬間に歌詞がひとつも出てこないことに気づく、というまったく恐ろしいとしか言いようのない夢で目が覚めた。こういうのってよく耳にはするけれど自分が見たのは初めてだったのではないか。年始のライブに向けて思うように練習が出来ていなかったからそのせいだろうか。なんだか少し驚いた(しっかり練習しよう)。

去年の末はどんなだったかしらと思い、去年の十二月に書いた文章たちを読み返した。去年のいまごろ、わたしはそういえばまだこの場所に住み始めてたったの数ヶ月だったのだ、わかっていたはずだけれどなんというか忘れていた。ここで過ごす二度目の冬だ。

今年のことを振り返れば、先月のリリース、10月の台湾、4月の沖縄、がぱっと頭に浮かぶ出来事。沖縄も台湾もとても思い出深い。良い時間だった。大阪でもう何年も会っていなかった友人に会えたことも印象に残っている。あとはなにがあったかな、中古の車を買った、淡路島で見た海の景色、長時間のひとりドライブ、Adrianne Lenkerのワークショップにもとても大きな影響を受けた、あとはツバメスタジオで麦さんとaqubiのふたりとライブ、でもだけどこういう羅列には入ってこないことにもというかことにこそ本来的ななにかがあるのではないか、ということも思う。

わたしたちは、というかわたしは、いつも遠くばかりを見てしまって、大きなものばかりに目がいって、いまここにないものばかりがいつだって欲しくて、でもすぐ目の前や足元や、近くの小さなものたちことたちを眼差しでみればそこにはやっぱりきっととてもとても大切な愛おしい輝ききらめきのようなものがあり、あるはずで、そういうものをこそ、しっかりしっかり抱きしめて噛み締め生きる、そういうことができるようになったらわたしは初めてちゃんと本当に満たされるのかもしれない、ということをさっきひとり部屋に戻ってきてから考えた。

おとといから父が来ており、明日には母が来る。賑やかな年末年始。こんな日々をわたしたち家族の誰が想像しただろうか。そう考えてみれば、これから先だってきっとまだまだ想像もしなかったことがたくさんあるに違いなく、というか、想像なんて、ずっといつも出来ないまま生きてきたし生きているのだから、まぁ、当たり前と言えば当たり前だね。わからないままずっとやってきてその結果たまたまいまこうなっているというだけです、というようなことをそういえばインタビューの回答で書いたな。

来年のことは、なにも決まっていない。年明けと春にライブがひとつずつ。それだけ。引き続き曲を作って、それを形にするためにコツコツ積み上げる。あとはやったことのないことをいろいろやってみたい、最近は手仕事に興味がある、陶芸とか木工とか。本をたくさん読む、行ったことのない土地に出掛ける、旅をしたいたくさん、というか旅をしながら暮らしたい。来年はあんまり東京には行かないかもしれないなぁ、その分ほかの土地に行こう

作品が、どこにどれだけ、あるいは誰にどれだけ、届いたのか、わたしにはわからない、実感もなければその総体(のようなもの)を知る術もない。わたしはなにを大切にするべきか、なにを、だれを、見るべきか。遠くの、あるいは大きなもの、もしくは近くの、そして小さなもの。見えもしない存在するかどうかもわからないなにかではなく、そこにいる、確かにいる、ひと、たち、を、わたしはやっぱりもっとちゃんと大切にしてそしてそれをちゃんと表現できるようになりたいと、そういうことをいま思う。作品を聴いてくださっている方、この場所のことを気にしてつまりわたしのことを気にかけて、言葉を読みにきてくれる方、ありがとうございます、ありがとうね

阿部芙蓉美さんのごみ溜めのバラードという曲が大好きなのだけど、何日か前の夜に仕事をしながらその一曲だけを何度もかけて途中一緒に口ずさんだらなんか涙が出ちゃって、

いつまで経っても未熟でいつまで経っても足りないのだけれど全然、引き続き少しずつ生きていこうと、思う、そういう時間の割合がだけどもしかしたら以前より増えているのかもしれない、ひかりのことを、ひかりについて、Dawnという作品を作り終えてからはずっと考えています