2025.02.19

今日はまたきゅっとした寒さで、日中外で日向ぼっこをしながら久しぶりに少し仕事をしていれば雪がちらちらと舞いはじめ慌てて部屋に入った。だけど夕方散歩に出ればそこここに梅がさかりで季節がまたひとつ過ぎていくのだなと、春が待ち遠しいような気持ちと少し名残惜しいような気持ちと。

今月はほとんど仕事をしておらず、三週間ほど友人たち(母とその小さな娘)が滞在して女5人で賑やかにちょっとした非日常を過ごしていたこともあり、日々例えば料理をし洗濯をし焼き菓子を焼きお茶を入れ散歩に行き軒先で火を焚き買い物に行き温泉にわらわらと出掛け、ただただ暮らすことをしていた。流動的で、本来的。考えてみればそんなふうに日々を過ごすというのは人生において幼少期を除けばおそらくほとんど初めてのことなのであって、そしてそれというのは本当はひどく不自然なことなのではないか、というようなことを今日はふと考えていたのだった。与えられた時間のほとんどを金銭のための労働に費やす人生、変なの

先月末から取り組んでいた制作の仕事を無事に今日納品した。ギターだけの曲で歌も声もひとつも入っていないのだけど、「のんちゃんの曲って感じ」と言われて、そうか、と思う。例によってミックスに思ったよりも時間がかかり途中よくわからなくなったりもしたのだけど最終的になかなかいいねうん、と口角が上がるような、そんなふうに仕上がって、よかったなと思う。歌を歌い曲を作ることで誰かに喜んでもらえるなんて奇跡みたいなことだと思う、自分の作品を作ってそれを巨大でおそらく底なしの水たまりに投げこんだとてあんまりなんていうか、そういう実感のようなものをわたしの場合はなかなか得づらいので。制作や歌唱のような仕事というのはその点とても直接的でわかりやすい。どちらがどうということでは、もちろんないんだけど。

なんかもう少しいくつか書こうと思っていたことがあったような気がするんだけど出てこないので今日はここまで。おしまい。いつもより早いけど寒いし眠いしもうベッドに入って、年明けに買ったカルメン・マリア・アチャドの『イン・ザ・ドリーム・ハウス』を読み進めて今日はぐーっと眠る