2025.12.08
燃えるような夕陽が
ふたりを真っ赤に染めて
ああこのまま
消えてしまえたらいいのに
という歌詞がわたしの曲にはあるけれど、今日の夕方、土手を歩きながら燃えるような夕陽を眺めて、あぁ夕陽をみても消えてしまいたいとは、思わなくなった、本当に、そんな気持ちはもうなくなった、そういうことを思った。美しい夕陽をみるたびに、なぜわたしの体は断固として依然ここにあり、なぜあの夕陽に溶けて消えてなくなってしまわないんだろうと、いつもいつも思っていた、あれはいったいなんだったのだろう、時がたってわたしがなにかを克服したということになるのかあるいは年齢に関係があるのか。しかし、そういう気持ちなり感情なりを、わたしは失くしたから、いま音楽を作らずとも平気で暮らせているのかもしれない、逆に言えばだから音楽を作りたいという気持ちが湧かなくなったのかもしれない、そういうことを考えれば、やはりわたしの音楽はわたしのための、自分自身のための、ごくごく小さなひとりよがりの営みであったのだ、そういうことを思った。
この一週間ほどめずらしく出ずっぱりだったので今日は久しぶりに一日家でやることをやろうと意気込んだけれど、まったく集中できずぜんぜんだめだった。言葉が頭のなかに入ってこず、額のあたりをすいすいと通り過ぎていくだけだった。気分転換にと思って夕方長めの散歩に出たけれど、夕陽をみてもあまり心が動かずいろんなことを考えてしまうしかえって憂鬱になるだけだった。そんなことってあるのか。
しかし一時間ほど歩いたので薄ぼんやりとした疲れ、ソファに寝転がりうとうとしながらこれを書いている。
音楽でないなら、ではわたしはいったいなにをよすがに生きればいいのか、あるいはもしそんなものがもはや必要でないとするなら、そんな人生を生きることに何の意味があるのか