2025.12.30
年内最後の酒(たぶん)を意外なひとと飲み交わし、日本酒を飲んだうえにちゃんぽんしてしまったのでこれはどうでもよくなってだらだら朝まで飲んでしまうパターンだろうかと思ったけれどえいっと終電に飛び乗りちゃんと家に帰ってきた。今日で年内のすべての工程を終えたので、久しぶりに深夜にハーゲンダッツを食べている。今月に入ってなんだかばたばたと宿題というか課題というか、試されてると感じるようなことが立て続けにあり、やや面食らうというかなんというか大小の揺れがあったわけだけれどそれも無事に乗り越えて年内のあれこれは2025年にぜんぶ置いて、いけそう、新しい気持ちで新しい年を迎えられそう。そのことに心底安堵し、そしてそういう自分になれたことが嬉しい、とても嬉しい。この数日はめずらしく積極的に自ら外に出ていろんなひとに会った。ら、当たり前に楽しく元気が出て、加えて行く先々で「顔が見られて嬉しい」といってもらって、あれこれはどうやらただ存在しているというそれだけで喜んでもらっているということなのではないか、ということに気がついて、自己肯定感が上がるとはこのことか、という年末だったのだった。そしてさ、そういう言葉を、言葉通りに素直に受け止められる自分になっていたことも嬉しかったのだね、少し前まではそういう好意を示す言葉のほとんどを拒絶していた(なんで思ってないのにこんなことを言うんだろうこのひとは、と本気で思っていた)、それをついに越えた、階段を登った、と思った、いままでほんとにつらかったねでもよく生きてきたね、と自分をねぎらい褒めたい、と思った。このままでは本当に生きていられない、どうにかしなくてはいけない、と思って自分の受けてきた傷と向き合うようになったのがたしか2018とか19で、だからそれなりの時間を要したわけだけれど、ようやくここまで来た、時間はかかったけれど、ちゃんと来れた。だから来年はきっと軽やかに健やかに、同時に地に足をつけて、動いていけるのではないか、という予感と希望を持っている、そんな年末。
自分を本当の意味で大切にするということ、それから本当の意味でひとりになるということ、が、やっとわかったかも、と思う一年だった、
いろいろ、面白いことだ、と思う。なんにせよ生きている