2026.02.14

とても久しぶりにコーヒーを淹れる。最近はあまりお腹が空かなくて、食べたいものも思い浮かばないし買い物にいく気も湧かなくて、なんかそんなかんじでだからコーヒーさえ淹れる気力がなかった。でも今日は久しぶりにスコーンを焼き(チョコレートチャンクスコーン、温度が高かった少しこんがりし過ぎたけどざっくりふんわりしていてよく焼けた、でもいつも通り適当な分量で作ってしまったので再現はできないいつも通り)、そうしてコーヒーを、淹れたのだった。やっと息が吸えている。そういう気持ちになったのは天気がいいからかな

今月はなんだか仕事を入れ過ぎてしまって、と言っても落ち着いて考えてみれば大した量ではないのだけど、なんかいろいろが重なってしまってひとり勝手にあわあわして、たぶんそれでなんか余裕がなくなっていたのかもしれない。今週を乗り越えたからたぶんでももう大丈夫。来月はあまりあれこれ入れずにのんびりすることにしよう、と思いながらだけどあれもこれも結局入れてしまいそうになったりして、なんか、よくわからないけど迷っちゃって難しい。でもなるべく体も頭も予定も空けておきたい。

おととい、映画を観た。観たいみたいと思っていた『The Outrun(放題:おくびょう鳥が歌うほうへ)』。シアーシャ・ローナンの最新作で、彼女自身がパートナーと一緒にプロデュースもしている。なにかで見かけて、見かけた瞬間あ、これは観たい、と思っていた、内容も特に知らずに観たのだけどもこれがとっても素晴らしかった。シアーシャ・ローナンが素晴らしいのはもちろんだけど、映画そのものが作品として圧倒的にすごかった。なにせ映像の強さ、美しさ。はじまってすぐ、10分か15分か、ロナ(シアーシャ)とパートナーが公園で触れ合うシーンで、これまでにあまり観たことがないくらいの近さで肌や唇や目元が映し出されるのだけど、それがもう、息を呑むほどに美しい。このシーンを観るだけでこの映画を観る価値があると思えるくらい、それでわたしはもう一気に引き込まれこの映画が大好きだという確信を持ち、そしてその後のストーリー展開も音楽ももちろん文句なく、クライマックス近くにまた素晴らしく美しいシーンがあり、わたしはその美しさにぽろぽろと泣いて、じんわりじんわり余韻を胸にやっとの思いで劇場を出たのだった。映画っていいなあ素晴らしいなあという気持ちにさせてくれた久しぶりの作品だった。いま思い出すだけで目元に熱が戻ってくる。パンフレットはもうめったに買わなくなったけど迷わず買い、近くのお店でチャイとキャロットケーキを頬張りながら読んだ。まあ例に漏れずそんなに大したことは書いてなかったんだけど、原作はイギリスで大ヒットしたノンフィクションだそうで、それは原書でぜひ読みたいと思った。しかしイギリス英語は苦手だし、生物学の難しい単語や鳥の名前とか固有名詞も多そうだからすいすいは読めなさそう、しかしでもきっと読もう、そして映画もまた観たいなあ、それにしてもだけどこういう映像の美しさというのはやっぱり大画面で観るからこそであって、家でラップトップで観たとて同じ感動はやはり味わえないだろうということを思ったり。

そうしてなんか知らんが本を買い過ぎている、年末から。買い過ぎてわけがわからなくなって収拾がつかなくなっている。一度落ち着いて順番に読み進めないといけない。年末から1冊ずつ読み返していたハンガンがあと少しなのでまずはそれ、それからこれも年末から読んでいるセックスする権利、とりあえずはこの2冊、そのほかにいまたぶん10冊くらい手を出してしまっている、なににしようかな、どうしようかな。ずっと読みたかった韓国の作家の小説をやっとら買えたのでそれかな。こういうふうに注意があっちこっちにいってしまうときがある、本に限らず。とにかく一度落ち着こう、ぜんたいてきに。

選挙の振り返りのポッドキャストを聴いたり記事を読んだりして、なるほどねーとか思って、ほんと未来も希望もへったくれもない世界ですね、日本も、日本じゃなくても。どうやって生きていったらいいのだろうね、という答えのないことをまたぼんやり考えながらスコーンをもう一個食べようかどうしようか、あっという間に冷めていくコーヒー。