2026.03.06
きのう、久しぶりに一日家にいられる日だったけれどあまりに天気がいいのですこし外に出たくなって昼過ぎに散歩。散歩はだいたいいつもコンタクトもめがねもせずに行くので視界はぼんやりしている。でも散歩にはそれくらいがちょうどいい、と思う。すこし先の角の家にピンクの花が咲いている木が見えて梅かなと思って歩いて行くと桜だった。寒桜なんて毎年見ているはずなのに、この時期に桜が咲いているということに毎年律儀に驚く。満開だった。そうしてさらに歩いていけばべつの角ではミモザが満開で、以前住んでいたマンションのそばに大きなミモザの木がある家があって、季節にその家の前を通るたびに枝をいっぽん分けてもらいたいなと思っていた、勇気を出してインターフォンを押してみようかと何度も思った、そのことを思い出す。道路わきでは沈丁花が香っていた。沈丁花の香りは鼻のおくにつんとくる、花というより果物みたいなにおい。わたしはだいたい色のついた花より白い花のほうが好きだけれど、沈丁花はすこしピンクのほうが好きだなと思った。
そうして川沿いの土手に出ればぜんたいがなんだかのっぺりしていて、そういえば桜の木がない、というか木がぜんぜんない、ということにはじめて気がついた(地元の多摩川の土手にはずーっと桜の木が植っていて、春はとても綺麗なのだ)。そうして、この場所で迎えるはじめての春がもうすぐ来るのだな、と思って、今年はどこかにだれかと桜を見に行けるだろうか、と考えた。川沿いをいつになくゆっくり歩いていると土手の斜面に小鳥の群れがいて、なにやら地面をついばんでいた。すずめよりひとまわり大きい、濃いグレーの色の鳥だった。わたしは花の名前ならすこしは知っているけれど、鳥の名前はぜんぜん知らないな、と思った。
何日か眠れない日が続いていたけれど、きのうは久しぶりにようやく眠れた。ただ眠れるというそれだけのことがこんなにも嬉しいなんて。今日はどうだろうか。
あたり前のことがどんどんあたり前でなくなっていく日々。切れ目なく、つぎつぎにあれもこれもが起こっていて頭も心もなにもかも、ぜんぜん追いつかない。こんな世界でふつうに暮らし続けろというほうが無理だな話だと思う。しかしなにがしんどいって、このしんどさを多くのひとと共有できないことだ、というやり取りをさっき近しい友達とした。日々ニュースを見聞きしたり、政治や社会にまつわる情報を積極的にとりに行き本などを読み日々考えているひとたちと、そうでないひとたちとの溝はどんどん深まっているように思う、そうして両者の目に映る世界は、もう本当に、まったくべつのものになってしまっているんだろう、その間を超えて伝わる言葉なんてあるんだろうか。ほんと、つかれちゃうね
春が来るのがなんだか思っていたよりはやいなと思いながら土手を歩いて、でも頬を過ぎていく風はまだすこしだけ冷たさが残っていて、なんとなく冬が名残惜しいような気持ちになって、こんなふうに感じるのははじめてかもしれない、と思った