2022.01.12
天気がいいので起きて一番に洗濯機を回す。洗濯機のスイッチを入れてからゴミ出しに行って、寒い寒いと小走りで部屋に戻りリビングのドアを開けるとキッチンにかかったタオルが目に飛び込んで来て、あぁまた忘れるところだったと慌てて洗濯機に放り込みよかった間に合ったと替えのタオルを取り出そうと引き出しを開けると空っぽで、ということはつまりわたしは無意識にキッチンのタオルもすでに洗濯機に入れ替えのタオルをかけた、ことを忘れて出したての綺麗なタオルを洗濯しているということなのだった。隣のマンションとうちのマンションの間の通路によく出没する大きな虎猫が、隣のマンションのベランダの室外機で日向ぼっこをしていた。スマホを持っていたら写真を撮りたかったなと思いながら頭の中にスピッツの猫になりたいが流れた。
きのうは一日家で仕事。途中突っかかって何度もやめたくなりながらどうにか目標のところまで。わからない出来ない、みたいなしんどさを感じるとき、こんな想いをしてまで仕事ってするものなのだろうか、それを金銭に換算した際それは果たして適正な対価と言えるんだろうか、とか、すぐ考えてしまう。でもこんなのだってもっと経験を重ねたりわたし自身がもっと勉強をしたりすればすいすい出来るようになるだけのことだろうと思うのだけれど。おとといも店の仕事が終わって、朝は調子が良かったのに帰るころには心身共にぐったりしており、所在なくあちこちを少し徘徊してから家に帰るようなあんばいになり、店の仕事もいつまでできるかな、とか、また考えた。今年は日数をもう少し減らしたい。そしてもしかしたら今年いっぱいくらいかもしれない、とか、なんとなくそんな気がした。
だけどこと音楽や文章に関してはやっぱりそういうあれこの逡巡みたいなものはないんであって、つまりはそういうことだよなぁと思ったりもする。ぐるぐる。
今月中に諸々の仕事をえいえいえいっと終わらせてしまいたい。来月の頭は和歌山の姉のところに少しの間行くことにしたから、そのときは手放しでのんびりしてその場そのときだけを楽しめるようにしておきたい。そうして自分のことは結局後回しになるのかうーむ、と思ったりもするけれどきのう寝る前に読んでいた向田邦子さんのエッセイに、食べたいものを作って食べて、遊んで、そして本を読んで、残りの時間で仕事をやり繰りしているような人間だから、というようなことが書いてあって、ちょっと救われたような気持ちにもなったのだった。年末年始に読んだ町田康さんのエッセイにニコの伝記の書評が載っていてなんとなく気になって買ってみたらとても分厚くて文字組みが上下二段になっているタイプの大物で少し圧倒されながらも読み始めた。考えてみれば伝記というものを大人になって読むのは初めてかもしれない。半年あるいは一年がかりかも、と思いながら当たり前にものすごい数出てくる見慣れないカタカナの固有名詞と格闘。