2022.03.04
今日は一日家にいたけれど、ほとんどなにも手に付かなかった。午前中頼まれていた仕事を少しして、調べものを少し、あと確定申告が終わったから事業復活支援金の申請をやっとして、あとは洗濯と掃除、ブラウニーを焼いた。本を読もうとしてページをめくったけれど散漫な気持ちでちっとも読み進められず、諦めて少し横になって目を閉じたけれど、それより他にやることがあるんじゃないかと思ったりして、ひとりで右往左往して、夕方気分転換に少し買い物に出て、手を動かすくらいしか出来ることがなさそうだったからやろうやろうと思っていた鹿児島の友達がたくさん送ってくれた無農薬のみかんの皮の処理をして煮て、あと明日からしばらくの食料としてヴィーガンのボロネーゼソースをたっぷり作った。なんか、そんな、停滞した心のまま時間だけが過ぎた一日だった。sessionを聴いて、ポリタスを観た。きのうまでの数日はなんとなく大丈夫だったのに、今日はまたなんだかしんどかった。ヨーロッパ最大と言われるウクライナの原発が制圧されたニュースをみたことが大きいのだと思う。連絡をくれた友達にもあまり優しい気持ちになれなくて悲しかった。気を紛らわすためにちょっとワインを飲んで、でもそれにどれほどの効果があるかといえばよくわからない。
『なぜならそれは言葉に出来るから』という去年読んでとても力をもらった本を、今日は本棚から出してきて少しだけ読んだ。言葉に出来ないことの意味、言葉にしようとすること、そしてすることの意味。そういうことを考えている。
あしたは新宿でデモ。午後は仕事だから、午前中の準備を手伝いに行くことに。まとまらない気持ちのまま、言葉に出来ないまま、きっと同じようにまとまらない気持ちのまま集まったバラバラのひとたちと、だけどひとつの意志を、平和をただただ求めるというその気持ちを共有して、表現して、示せたらいい。そう思う。