2022.05.23
寝起きで日記を書く。先日、千葉に住む祖母の家まで出かけていき、12時目標と伝えていたのに結局13時頃に到着するとちょうどお昼ごはんの準備が出来ていたところで、母と三人で食事をした。祖母に会うのは年明けぶりだった。一緒に姉の子どもの写真や動画を見たりして時間を過ごした。iPadも老人向けの携帯電話もやはりうまく使えないらしく、どうしてもわからないの、だめなのね、と言っていた。こうするんだよ、と伝えてみたけれど一向に伝わっている感じがせず、祖母はまったくボケたりもしていないし、聡明だし器用なひとなのにどうしてこと近代の機械に関してだけはそれが適用されないのか、なにか特別なフィルターのようなものがあるのだろうか、自分が歳をとったらわかるのだろうか、と考えた。ひ孫のビデオを見ながらそれはそれは嬉しそうに楽しそうにしており、ビデオだけでこれだけ幸せになれるのなら直接対面したらえらいことだなと思った。姪が生まれて以来赤子の力の凄さを見せつけられ続けている。
母に会うのも久しぶりだったけれど元気そうだった。姉に子どもができたとわかって以来父とふたりして西松屋に通いつめあれこれ買っては送っていた彼女は、夏に子どもが生まれる予定の弟にも同じことをしているらしかった。子ども服にはきりんやらねずみやらうさぎやら様々な動物がモチーフになった服が売られているが「わたしはクマが好きだっていうことがわかったの」と嬉しそうに話していた。かわいいひとだなと思う。わたしのためにスーパーで和菓子を買ってくれていたので食後にいただいた。桜餅と道明寺。
まだまだ話したそうな祖母を振り切って、二度目のカウンセリングへ向かう。受付でしばらく待っていると女性が出てきて名前を伝えると確認しますねと言って、すぐに戻ってきて「今日は15時の予約だったと思うんですが」と言われる。15時と5時を間違えて17時とスケジュールに入れていたのらしい。前回、初めてのカウンセリングを終えたあと朦朧としていたのだ、そういえば、と頭の中で言い訳をする。昔働いていた会社の社長がしょっちゅうこういう間違いをしていた。こんなことならもっと祖母の家でゆっくり出来たなぁと思いながら、だけど15時の予約だったらそもそも祖母の家には行けなかったなということに気づいて、とりあえずどこかでコーヒーでも飲んで一息ついて帰ろうと思うがなかなかちょうど良い店が近くになく、結局駅前のチェーンのカフェに入った。食事っぽいものが食べたかったけれどあまり魅力的なものがなく、コーヒーとミルクレープを注文して席に座る。
わたしはまた感情にかまけてまたしょうもない間違いを犯していて、そのことにそのときに気づいて、ひどく脱力した。そうしてミルクレープがなくなり、残り少なくなったコーヒーがすっかり冷めてもほとんど茫然自失のていでしばらく席を立てなかった。友達のピアニストryo sugimotoの初めてのアルバムが出たばかりでそれをずっと聴いていた。とても美しいアルバム。
店内の客がすっかり入れ替わったころ、どうにか立ち上がって駅へ向かって乗り込んだ電車の中で言葉が次々浮かんできて、それを反芻しながら家に帰ってとりあえずそれらをメモして、お腹はまったく空いていないのに食事がしたくてパスタを作って、ワインを飲みながら食べて、満足感を得てからギターを弾いてその言葉に曲をつけた。なんとなく曲っぽくなって、そうすると心もだいぶすっきりして、そのことをなんか、どう受け止めたらいいのかなと思うけれど、でもやっぱりそういうことなのだよなと思う。なんでも曲になれば、とりあえずはオーケーと思える。それはある意味ではいいことだけれど、でも結局ぜんぶネタなのだ、と思うと、なんか人でなしっぽいなぁと思う。
最近読んだ小説に立て続けに『人間失格』が出てきたので、久しぶりに読み返した。初めて読んだのはいつだったか、もうだいぶ前で、でも二十代のうちのいつかだったと思う、大層衝撃を受けた記憶があったのだけれど、読み返してみるとびっくりするほど内容を覚えておらずそういう記憶の脆さや薄情さにある種慄きながらページをめくった。太宰は何冊か読んでいるけれど、その他もまた読み返し、そして未読のものも読もうと思った。しかし最近、まだ読み途中のものも何冊もあるのにまたまとめて本を買ってしまい、またダイニングテーブル に積まれている。読書の時間を日々の中にどう割り当てていくかというのは未だ解を得ておらず、まぁそんなのは他のどんなことでもそうなのだけど。やっぱり規則正しい生活をしてルーティンを決めることなのかしら。生活、生活。
所謂普通の生活とか暮らしみたいなものが自分にはそぐわないのだということをいいかげん理解していて諦めのような気持ちもあるのだけど、一方でそれに対する憧れというかもはや執着のようなものがやっぱりどこかにあって、それを捨てきれなくてだからずーっと揺れていてそのことがわたしの中の憂鬱を生み出す要因のひとつになっているように思う。いつまで続くんだろうか。
そう、それで、その日、祖母の家に行きカウンセリングに行くもカウンセリングを受けられずふらふらと家に帰った日の帰り道、久しぶりにNozomi Nobodyを聴いてみればけっこうよくて、あぁいいなぁと思ったのだった。早くレコーディングをしたい。