2023.02.26 思い出し憤慨、しかし穏やか、わたしはとてもおだやか

目が覚めて携帯で時間を確認したら12:03、マジか、と思わず声が漏れた。何となく慌ただしい一週間でよく眠れない日も多かったからゆっくり休もうと思いアラームをかけずにきのうはベッドに入った、それにしても正午とは。きのうも明け方近い時間になって目が冴えてしまってあんまり眠れなかったのだった。まあ今日はいい、これでいい、と思いながらむくむく起き出して、今日のことを考える。とりあえずシャワーを浴びて、パンケーキを焼いて(今日のはココアパンケーキ、豆腐のクリームにココナッツといちごジャム、最近とても久しぶりにいちごジャムを買ったら当たり前にとても美味しくて最近のパンケーキはいちごジャムが続いている、美味しい食パンを買って来たい)コーヒーを飲む。天気が良い。今日は夕方からスタジオで歌録り。なんだかバタバタしてしまっていて思ったほど練習できなかったけれどどうだろうか。まあ、やってみて。

きのうのこととか、最近のこととか、少し前のこととか、シャワーを浴びながらぼんやり考えた。わたしのことを遠巻きにみて「心配」だというひとがときどきいる、そのことを思い出して、ひとり静かに憤慨した。「わたしのこと」というのはわたしがいつまでも音楽とかやって結婚もしないでふらふらふわふわ暮らしてよくわからん社会運動とかやり始めて、知らんけどおそらくそういう全体を含んでいて「心配」なのらしい。余計なお世話だなと思う。そしてこんなに失礼なこともないなと思う。わたしがでは仮に、いつか貧困の中孤独な死を遂げたとして、そのときに果たして「あぁ音楽なんてさっさと辞めて就職して結婚して子どもを産んで人並みに暮らしていればよかった」と後悔するか、そんなのするはずがない。するはずがないじゃないか。即答できる。ひとの選択や意思というものを甘くみ過ぎている。はっきり言ってなめ過ぎやろ。みたいなことを、なんとなく、思い出し憤慨した、バスタオルで身体を拭きながら。

でもそんな憤慨は一瞬で過ぎ去って、パンケーキは美味しくて、コーヒーが体に染み渡って、天気が良くてさ。窓辺に足を投げ出して日向ぼっこしながらこれを書いてる。おだやか。とても穏やか。最近は伝えたいとかわかって欲しいみたいな気持ちが目に見えて薄れていて、そういうことへの興味が全然湧かなくなっていて、理由はわからないけれどへえ、という感じ。なんでだろうな。伝えよう伝えようわかってわかって、みたいなことを、足りたかどうか足りることなんてあるのかということはまあひとまず傍においてわたしなりにそれなりにやって、なんか一周して通り過ぎたような、あえて言葉にするとしたらそんな感覚だろうか。きのう菅波さんと、コロナ禍に入って何年もしてようやくわたしたちがそれぞれの生活や音楽に向き合えるようになったそしてそのタイミングがちょうど同じくしている、そのことについて話した。発信することへの関心の薄れについても。同じような変化を辿っていることはとても興味深い。ミル君とも話をしてみたい。今年の春はいろんなアーティストのアルバムが一気にリリースになる、そういうタイミングの重なりも、きっとコロナ禍でのいろんな変化と無関係ではないだろうと、どこかで誰かが検証して言語化してくれるかはわからないけれど、ひとりで思っている。3年というのは、やっぱりそれなりの時間なのだ。今年に入ってしかしまだ2ヶ月もう2ヶ月、あまり新しい年になったという気持ちもずっとないままだなそういえば、今年はどんな年になるだろうか、ということをきのうたぶん初めて、みんなと一緒に煙草の煙もくもくの安居酒屋のお座敷に座っているときにぼんやり思ったのだった。