2023.05.28 いいねあなたは心がなくて

言葉はいくらでも、溢れんばかりにあるのに、それぞれがただ散り散りにあるばかりで意味をなして連なっていかないまま一週間かそれ以上が過ぎた。渋谷の入管法改悪デモや中目黒の友達の展示や恵比寿ガーデンシネマや三茶グレープフルーツムーンのサーカスナイトや筑波の友達のお祝いやはたまた実家や、たくさん外に出掛けていたのについぞ本屋に寄る機会がなく、今日は本屋に行くことだけを目的にして外に出ようと自分に言い聞かせ、しかしなかなか体が動かず、夕方を過ぎてようやくのろのろとシャワーを浴び服を着て下北沢へと向かった。

ボーナストラックでは何やら催し物が行われており、入り口の屋外スペースはたいそう賑やかでなんというタイミングだろう最悪だ、と思ったけれど、B&Bに入ってしまえばいつも通り静かで安堵。午前中なんだか食べ過ぎてしまい胃が重く午後からはなにも食べていなかったために空腹で、欲しいものは概ね決まっていたからさささっと選んでさささっと食事しに行こうと思うも目当ての本がなかなか見つからず(B&Bは本をランダムに陳列しているので無目的にぶらぶらするにはとても良いけれど決まったものを探すのには適さない、と今日気づいた)店員さんに訊いてみるが彼らもどこにあるかわからず二人がかりで探してくれたけれど結局いちばん買いたかった小説は置いていなかった。気になる本はいくらでもあったけれど、いま読みたいと思う小説を二冊と、詩集を一冊選ぶ。詩集は近く手術のために入院する友達のお見舞いに贈ろうと思ってだけど自分用にも欲しくて、レジでもしもう一冊あれば下さいと言ってみたけれど在庫はなかった。

会計を済ませ階段を降りて、すぐ隣にあるチャイニーズのお店に入った。アメリカによくあるようなジャンキーなチャイニーズのヴィーガンのお店ができたという情報をネットの何かの記事で見ていて、アメリカの安っぽいチャイニーズ懐かしいな食べたいなと思っていたのだった。店内は閑散としておりなんてちょうどいいのだろうと思い、ショーケースの前でさまざまのぎらぎらした料理を眺め、メニューを見てみると主食1種と副菜2種、といったような組み合わせのいくつかの選択肢がすべて英語で書かれており、やたら明るい照明やチープなテーブルに椅子など、徹底しているなと思いながら、わたしは量は要らないがいろんな種類が食べたくて、カウンター越しに定員さんに、これっていろんな種類を少しずつ選んだりも出来ますか、と試しに訊いてみると、あぁ〜もう閉店近いんでいいですよ、ちょっとずつ載せますよ、と、淡い茶色の美しい瞳をした彼はひどく無表情にしかしたいそう丁寧親切に対応してくれた。わたしは青島ビールとともにやたら塩辛いそれらを、これは塩と胡椒が一緒になっているタイプの塩と胡椒の味だなあと思いながら、懐かしい気持ちで食べ、買ったばかりの詩集をめくった。遠くに外のざわめきが聴こえていたけれど、それらとわたしはまったく関係のない切り離されたところに存在していて、わたしはただ手元の言葉のなかにだけあり、たったひとりで、そのことをとても心地よく思った。そうしてプラスチックのボールに盛られたチャーハンとなんとかチキンとなんとかチキンとなんとかなんとかを食べ終え(あまりにチキンチキンと書かれているので不安になってぜんぶヴィーガンですよねと注文のとき店員さんに確認した)ビールが空になるとちょうど閉店の時間だったので店を出た。もう少し本を読みたい気持ちだったのでもう一件寄ろうかなと思ったけれどたちまち胃がきゅうと痛みだしたので、駅前のビオラルというスーパーでちょっとだけ買い物をしてから駅に向かった。

ミックスが引き続き引き続いていて、アートワークのあれこれも引き続いている。わたしは大小さまざまなことについていくつも決断を下し、そして決定しなければならない。そしてその決定を言葉に変換し、文字に変換し、関わってくれるひとたちに伝わるように伝えなくてはいけない。たったひとりで、自分自身で。それはまったくしかたのないそして当たり前のことなのだけれど、そのことが未だにときどき少し苦しく感じられることがあり、いまはちょっとそういうときだなぁということを思っていれば、読んだばかりの詩のなかの「いいね あなたは 命がなくて」という言葉がふっと思い出されて、そして「いいね あなたは 心がなくて」という言葉が浮かんできた。いいね あなたは 心がなくて。心がなくただただ存在だけでもって存在するというのはどんな心地のすることだろうか、と思ったけれど、そのすぐあとにしかしその存在に心がないなんていうことがどうしてわかりようがあるだろう、と思った。ぽつぽつと、傘を必要としないくらいの雨が降り出していて、冷んやりと湿った夜風が吹く道を、ゆっくりゆっくり、永遠に家に辿り着かないのではないかと思うほどゆっくり、歩いた。